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#41 ビジネスと人権 ~人を大切にし、永続発展する企業となるために~

市川 茉衣(いちかわ まい)
ドリームサポート社会保険労務士法人

労働分野の実務の参考となる情報を提供する「プロが伝える労働分野の最前線」第41回のテーマは、昨今注目されるビジネスと人権です。ハラスメントや違法な長時間労働など、ビジネスにおける人権侵害リスクは身近に存在しています。企業の人権尊重責任に対する国際的な要請が高まるなか、中小企業だから、海外進出していないから、と後回しにできる状況ではなくなりつつあります。ビジネスと人権のポイントや企業に求められる取り組みなどをドリームサポート社会保険労務士法人の市川茉衣さんが解説します。


ビジネスと人権に関する要請は、国際的に高まっている

「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳った「世界人権宣言」が1948年の国連総会で採択されて以来、人権の保障は国家の義務と考えられてきました。それから75年の月日を経た今、国境をまたいで経済活動が展開される中で、企業にも人権の尊重が求められています。

製品の原材料や部品の調達から製造、輸送、販売に至るまでの一連の流れである「サプライチェーン」においては、企業が開発途上国で強制労働や環境破壊行為を繰り返してきました。そのような状況を改善するために国際社会では様々な枠組みを策定し、企業による人権尊重を求めています。

ビジネスと人権に関する指導原則

企業による人権尊重を求めて様々な枠組みが策定されていますが、その中でも特に重要なのが、2011年の国連人権理事会で採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下「指導原則」)です。指導原則は主に3つの内容で構成されています。

  • 人権を保護する国家の義務

  • 人権を尊重する企業の責任

  • 救済へのアクセス

指導原則で注目すべきポイントは、企業活動が人権に影響を与える範囲を広く捉えていることです。従来、企業が人権に配慮すべき範囲は自社で働く人々と考えられてきましたが、指導原則では、自社で働く人々、取引先で働く人々、顧客、消費者など、より多くの人々の人権リスクについて考慮すべきと定めています。

基本的に人権の尊重・保護・救済は国に課せられた義務ですが、企業の社会的影響力と責任は大きく、企業の努力なしには人権を守ることはできません。

企業に求められる取り組み

「人権」という広範なテーマを前にして、他人事のように感じてしまう方もいるかもしれません。しかし、人権侵害のリスクは日々の企業活動の中にも潜んでいるのです。
強制労働や違法な児童労働によって製造された製品や、製造過程において環境に悪影響を及ぼしている製品を購入することは、例えその事実を知らなかったとしても、人権侵害を看過し、その一端を担ったとみなされます。

サプライチェーン上の問題だけではありません。都道府県の労働局に日々相談が寄せられる職場でのハラスメントや賃金未払い、違法な長時間労働も、れっきとした人権侵害と言えます。私たち誰もが、人権侵害の加害者にも被害者にもなる可能性があるのです。

2021年に日本の大手アパレルメーカーが新疆ウイグル自治区で強制労働により生産された綿花を製品に使用しているとして、米国税関から輸入差し止めの処分を受け、話題になりました。
国内でも技能実習生に対する賃金未払いや暴行事件は後を絶たず、海外からは、「日本の技能実習生制度は人身取引である」との指摘も受けています。
法務省人権擁護局が発行した『今企業に求められる「ビジネスと人権」への対応「ビジネスと人権に関する調査研究」報告書(詳細版)』の中では、「企業が尊重すべき人権の分野」として25の項目を挙げています。

参考:法務省人権擁護局『今企業に求められる「ビジネスと人権」への対応「ビジネスと人権に関する調査研究」報告書(詳細版)』

ひとたび「人権を侵害した企業」というレッテルを貼られれば、取引の中止や不買運動、株価の暴落など、多大な損失に繋がる可能性があります。取引先や関連企業だけでなく、株主や金融機関、行政、各種団体、一般の消費者に至るまで、あらゆる利害関係者が人権に関する取り組みに注目していることを忘れてはなりません。
政府は、企業に期待する行動として以下の3つを挙げているので、まずはその内容を知ることから始めましょう。

(1)人権方針の策定
(2)人権デュー・ディリジェンスの実施
(3)救済メカニズムの構築

(1)人権方針の策定
人権を尊重する企業姿勢を社内外に示します。この際に重要な点は、人権侵害を決して許さないというメッセージを経営トップが自らの言葉で語ることです。指導原則では、人権方針を策定する際の配慮事項を、以下のように定めています。

(a) 企業の最上層レベルによる承認があること
(b) 内部及び/または外部の適切な専門家により情報提供を受けたこと
(c) 企業の従業員、取引関係者及びその他企業活動・製品もしくはサービスに直接関係している者に対する人権配慮への期待が明記されていること
(d) 一般に入手可能で、かつ内外問わず全従業員、共同経営/共同出資者及びその他関係者に周知されていること
(e) 企業全体に定着させるために企業活動方針や手続に反映されていること

出典:ビジネスと人権に関する指導原則:国連「保護、尊重及び救済」枠組の実施(仮訳)(訳注 コメンタリー部分を除く)5頁

(2)人権デュー・ディリジェンスの実施
人権デュー・ディリジェンス(Due Diligence)とは、自社が人権に及ぼす影響を正しく把握し、人権に関するリスクを取り除く取り組みを示す言葉です。人権侵害が生じた後の対処だけでなく、未然の防止や各種教育も含みます。これは、自社内で人権侵害が生じているかを検証するにとどまらず、製品の原材料や部品の調達、輸送、販売にいたるまで目を配る必要があります。

人権に関するリスクは、次の3つに分類されます。

  • 自社が人権侵害を引き起こすリスク

  • 人権侵害を助長するリスク

  • 自社の製品やサービスと直接関連するリスク

例えば、環境破壊を行っている企業から原材料を仕入れていないか、商品を小売店に輸送する運送業者がドライバーに違法な長時間労働をさせていないか、広告・宣伝において不適切な表現を用いていないか、商品を購入した消費者への健康被害のリスクはないか、など、その範囲は実に広く設定されています。自社のビジネスの流れを整理し、それぞれの工程における人権リスクを洗い出しましょう。

ここで言う「リスク」とは企業に対するリスクではなく、人権が侵害されるリスクのことだということを忘れてはいけません。「企業にとってのリスクだから対応する」のではなく、自社の活動に関わる全ての人の人権を尊重するために、積極的に取り組む姿勢が求められるのです。
人権リスクを特定した場合、関係各所に働きかけ、早急に対策を講じる必要があります。関係者へのヒアリングやアンケート、再発防止のための研修などの対策が挙げられます。

すぐに対処することが難しい場合は、優先順位をつけ、特にリスクが高い物から改善の取り組みを講じます。
対応後には追跡調査、報告を行います。一度対処したことで「人権を尊重する会社」としてお墨付きをもらい、取り組みが終了するわけではありません。人権を尊重するためには、常に全体に目を光らせ、未然防止と改善の取り組みを継続し、社内外に取り組みを報告するサイクルを繰り返すことが求められます。

筆者作成

とは言え、中小企業においてはリソースや情報が不足し、対応が困難な場合もあるでしょう。政府やNGOが様々な情報を提供しているので、覗いてみてはいかがでしょうか。法務省のホームページでは資料の他に、相談窓口も掲載されており、外務省のホームページでは、ビジネスと人権に関する国際基準の情報を得ることができます。

■法務省 ビジネスと人権https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00090.html

■外務省 ビジネスと人権 ポータルサイト
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bhr/index.html

人権に関する取り組みの第一歩として、我々は社内研修をおすすめします。どのような行為が人権侵害にあたるのかを知り、人権侵害を決して許さないという社員の共通認識を形成することで予防効果が期待できます。
社内で講師を準備できない場合は、普段から関わりがあり、会社の内部事情をよく知る社会保険労務士など外部の専門家に相談するとよいでしょう。実際、筆者の所属する社会保険労務士法人には、ハラスメント防止研修の依頼が日々寄せられています。

(3)救済メカニズムの構築
指導原則では、人権課題を解決するために救済メカニズムを構築することを企業に求めています。企業の「お客様相談窓口」や、中小企業でも設置が義務付けられている従業員向けの「ハラスメント相談窓口」も救済メカニズムの一つと言えます。
これらの窓口を周知し、必要な時に利用できるように整備しましょう。自社で対応が困難な場合は、官公庁や公的機関が設置する窓口や、専門家に意見を求めることも有効です。
全ての人権課題を拾い上げて救済することは難しいかもしれませんが、一番身近な関係者である自社の従業員の意見を聞くことが、はじめの一歩です。

まとめ

近年では、公共調達の入札企業にも人権配慮が求められています。また、株主や消費者の目が一層厳しくなっていることを、誰もが感じていることでしょう。国際的な基準で人権を尊重しない企業に未来はないと言っても過言ではありません。自社の従業員だけではなく、企業活動に関わる全ての人が、人間らしく尊厳をもって働いているか、今一度考えてみてください。


市川 茉衣(いちかわ まい)
ドリームサポート社会保険労務士法人

社会学部にてメディア社会学を学ぶ。卒業後、小売業や生命保険会社にて、顧客対応に従事。2019年5月、先進的な働き方である「週4正社員制度」を実践しているドリームサポート社会保険労務士法人に興味を持ち入社。
現在は、つなぐ課にてセミナー運営、プロモーション業務全般に携わり、法人が提供する動画コンテンツの企画・撮影・編集・展開までを牽引して行うなど、活躍している。フルマラソン3時間台を目指し月間300キロの走り込みを行うアマチュアランナーでもある。

ドリームサポート社会保険労務士法人
東京都国分寺市を拠点に事業を展開し、上場企業を含む約300社の企業の労務管理顧問をしている実務家集団。

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