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#45|年収の壁、突破への道筋は会社主導で

鎌田 良子(かまた りょうこ)
ドリームサポート社会保険労務士法人/特定社会保険労務士

労働分野の実務の参考となる情報を提供する「プロが伝える労働分野の最前線」第45回のテーマは、政府が推進する「年収の壁」対策です。「年収の壁」の対策が強化された背景から、「106万円の壁」と「130万円の壁」の違い、そして新たに打ち出された3つの対策とその対応まで、ドリームサポート社会保険労務士法人の鎌田良子さんが解説します。


年末の足音が近付いてきた今日この頃、カフェでアルバイトしている大学生の娘に、夫が「今年は年収どれくらい? 扶養の範囲超えていないよね」と確認しています。大学生は勉強するのが本業ですから、親としては扶養の範囲内でアルバイトするのが当然とも考えます。では、企業で働くパートタイマー等はどうでしょうか。

最近、「106万円の壁」「130万円の壁」という言葉を、頻繁に新聞やテレビのニュースでも耳にするようになりました。これは、岸田内閣が「年収の壁」対策を打ち出し、扶養を意識して働くパートタイマー等の手取り収入を減らさないようにする取り組みの支援(年収の壁・支援強化パッケージ)が、この10月から始まったからです。首相官邸のホームページには、「年収の壁、突破へ」という言葉が力強く掲げられています。

所得税の年末調整を前に、税法上の壁(103万円)や、住民税の壁(100万円)の話だけでなく、所得税減税や給付の話も聞こえてきますが、本稿では税法上の扶養は取り扱わず、社会保険上の扶養についてお伝えします。

我が国の現状

本題に入る前に、まずは目を背けてはならない我が国の実情をおさらいしていきます。
1つ目は止まらない「少子高齢化」、2つ目は「深刻な人手不足」、そして3つ目は「古い価値観からの転換期」です。

まずは、1つ目の「少子高齢化」です。
我が国の少子高齢化はますます進んでいますが、公的年金制度は、社会全体で世代を超えて支え合う仕組みです。年金制度を持続させるためにも、働く意欲のある高齢者や子育て中の女性などが社会で働き続けやすい環境を整備し、社会保障の支え手を増やしていくことが喫緊の最重要課題です。
安倍政権時代に、働き方改革の一環で「一億総活躍社会」という言葉がありました。この号令のもと、社会保険(健康保険・厚生年金保険)の「適用拡大」が順次行われています。

出典:厚生労働省適用拡大特設サイト

新たな加入対象者は、下記すべてにチェックが入ったパート・アルバイト等です。
☑週の所定労働時間が20時間以上
☑所定内賃金が月額8.8万円以上
☑2ヵ月を超える雇用の見込みがある
☑学生ではない

企業の体力や本人の希望などの事情もありますが、原則は「支えられる側」から「支える側」に回って下さい――という国からのメッセージと受け取れます。

2つ目は「深刻な人手不足」についてです。
私も社会保険労務士として、顧問先の中小企業の社長や人事部の話をたびたび聞きますが、特に物流業界や建設現場、飲食業などでは、深刻な人手不足が続いていることを肌で感じています。
「採用が順調でない中、この10月から最低賃金が大幅に上がり、年末に扶養を意識してパートタイマー等の就業調整が起こると深刻な状況だ」
と運送業界のロジスティクス部門の管理職が話してくれました。

3つ目は「古い価値観からの転換期」です。
働き方改革では、特に時間外労働の規制などが進み、人手不足の状況ではあるものの、社会全体では労働時間は減少傾向にあります。
昭和の時代のような、働けば働くほど儲かるという価値観よりも、若手社員にとってはお金よりも時間、ほどほどに働き自分の時間も大事にするという考え方に変わってきています。
一家の大黒柱に一生支えてもらうという価値観よりも、ワークライフバランスが大事であるため、女性も男性も育児をしながら働き続ける家族の形態が、当たり前になってきました。
それに反して、今でも「配偶者手当」という時流に沿わない制度が残っている企業も一定数あり、その扶養範囲を意識して働いている配偶者もいるため、今回、厚生労働省は配偶者手当見直しの手順を公開しています。

【106万円の壁】と【130万円の壁】って何が違うの??

通常の労働者の4分の3以上の所定労働時間(1週間)及び所定労働日数(1ヵ月)で働く短時間労働者は、「4分の3基準」を満たしますので、パート・アルバイト等であっても社会保険に加入します。

適用拡大により、既に被保険者数101人以上の企業は、週所定20時間などの要件を満たせばパート・アルバイト等でも被保険者となります。
その中の、1つの要件である8万8,000円を1年に換算するとおよそ106万円となるため、これを超えると社会保険料など引かれるものが多くなり、手取り額が減ってしまいます。これが、「106万円の壁」と呼ばれるものです。
ここで一つ注意していただきたいのは、8万8,000円が所定内賃金を指し、残業代や賞与、通勤手当等を含まないことです。

 次に、「130万円の壁」についてです。社会保険に加入している企業に勤めている被保険者が生計維持している家族等は、健康保険の被扶養者として認定されます。この判定基準の1つに年収130万円という基準があります。
こちらの130万円には、残業代や賞与、通勤手当等も含むため、その金額を超えないよう、特に飲食業等では年末には繁忙期にもかかわらず、パート・アルバイト等の就業調整が発生している現状があります。

ちなみに、20歳以上60歳未満の配偶者の場合には同時に国民年金第3号被保険者となるため、扶養されている配偶者は保険料を払うことなく将来の国民年金を受け取ることができます。そのため、以前から給付と負担の公平性の観点により、不公平感が取り上げられることがありました。

今回の政府の「壁」に対する3つの対策

政府の「年収の壁・支援強化パッケージ」を具体的に見ていきましょう。

社会保険適用促進手当
このような就業調整が行われ社会全体の利益が失われないように、パート・アルバイト等の時間数を増やし、壁を超えて社会保険に加入する際、パート・アルバイト等の保険料負担を軽減するため、会社が「社会保険適用促進手当」を支給することができます。
標準報酬月額が「10.4万円」以下のパート・アルバイト等の場合には、2年間の時限措置として、この手当を社会保険料の算定の対象から除外することができます。
101人以上の会社(特定適用事業所)だけでなく、100人以下の会社であっても支給すること自体は会社の判断によりますが、2年間の時限措置に加え、上記の標準報酬月額の制限があることからも、特定適用事業所向けの「106万円の壁」を超える後押し対策と言えるでしょう。
101人以上の会社にあっては、新規加入者だけでなく、既に社会保険が適用されている他のパート・アルバイト等にも、全体のバランスを考慮し、同様の手当を支給することも検討するとよいかもしれません。その場合、賃金規程にも手当について規定する必要があります。

キャリアアップ助成金 社会保険適用時処遇改善コース
この本人負担の社会保険料分(社会保険適用促進手当)を、国から助成金で企業に補填する目的で、キャリアアップ助成金に「社会保険適用時処遇改善コース」が新設されました。
このコースの中には、労働時間延長メニュー、手当等支給メニュー、併用メニューの3つがあります。この中で、手当等支給メニューを選択する際には、本人負担の社会保険料額を上限とし、補填する手当名を上記「社会保険適用促進手当」とすることなどが、ルール付けされています。また、以下のような間違いやすいポイントがあります。

〇101人以上の会社(特定適用事業所)だけでなく、100人以下の会社も申請は可能
〇100人以下の会社の場合には、対象者の所定労働時間を通常の社員の所定労働日数または所定労働時間の4分の3以上に引き上げる必要があるため、101人以上の会社の20時間よりも、パート・アルバイト等にとって時間的にハードルが高い可能性
〇標準報酬月額が10.4 万円以下のパート・アルバイト等が対象となるのは、社会保険料の算定除外の要件であり、この助成金の要件ではない
〇100人以下の会社の労働者の場合、時間増のため年収が高い可能性があり、標準報酬月額が11万円以上となる場合は、たとえ社会保険適用促進手当が支給されていたとしても、保険料算定の基礎となる標準報酬月額・標準賞与額の算定に含まれることに注意が必要
〇直接パート・アルバイト等に支給されるのではなく、あくまでも会社への助成
〇既に社会保険に加入しているパート・アルバイト等の短時間労働者は、社会保険適用促進手当を支給したとしても助成金は対象外
〇社会保険料本人負担分のみの助成であり、会社負担分については助成がない
〇2年間の賃金アップだけでなく、「社会保険適用促進手当」を標準報酬算定から除外する特例が終わった3年目も賃金アップすることが条件

助成金が支給された後の人件費事情も考える必要がありますし、パッケージの時限措置が終わる頃には、51人以上の会社に社会保険の適用拡大が始まっていますので、対象となる会社も早めに意識する必要があります。

事業主の証明による被扶養者認定
一方で、「130万円の壁」対策として、臨時的一時的の収入で超えてしまった場合には、人手不足に伴う労働時間の延長等を行った事業主がその証明を出すことで、扶養に入り続けることができる仕組みが設けられました。
こちらは2年間のうち2回の時限措置で、保険者により対応が違ってくることが予想されます。
協会けんぽの場合は、今年の再確認の際に事業主の証明を提出すれば、まず1回目の登録がなされ、翌年2回目の確認・登録されると、その後3年目の認定はされないケースです。
健康保険組合によっては、今年は既に再確認が終了しているため対象とはされず、来年・再来年の2回となるケースもあるようです。これから発信される保険者からのルールにも注目し、確認をしてみて下さい。
こちらは、配偶者だけでなく、子などの被扶養者に関しても適用されます。事業主の証明様式も既に公開されていますので、今年の再確認時に求められた場合には、利用して下さい。
あくまでも、被保険者ではなく被扶養者が勤務する会社の証明であり、臨時的な場合が対象ですので、契約変更などにより恒常的に超えそうな場合には、対象とはなりません。

出典:厚生労働省 年収の壁・支援強化パッケージ

社会保険に加入するメリットを伝える

保険料という「点」だけで損得を考えていませんか。
検討の際には、パート・アルバイト等の希望を聞くことも大事ですが、会社の経営的にも少し時間軸を将来に伸ばして、「線」や「面」で考えてみましょう。
パート・アルバイト等にとって、保険料は折半なので、国民健康保険などよりも安い場合があります。また、厚生年金は、老齢年金も、万が一の障害年金や遺族年金も、国民年金よりも手厚く受けられることは、大きなメリットです。子育て期や介護の事情も一生続く訳ではありません。年金を人生後半から増やすのはなかなか大変ですので、厚生年金加入は1つの選択肢であることを会社は広く周知、教育すべきでしょう。
人手不足の今、能力や技術があり時間的にも将来的にも長く働いてほしいパート・アルバイト等にはその思いを早めに伝え、同時に社会保険加入のメリットを正しく理解してもらうことが大切です。

貴社はどう選択しますか?

人手不足の現状、若手の採用も難しく、賃上げだけでなく原材料も高くなっている今、難しい選択を迫られている場面も、より多くなっています。
被保険者51人以上の会社に適用拡大が迫るのは、来年2024年の秋、つまり1年以内にやってきます。
ちょうど良い機会ですので、今からパート・アルバイトのメンバーとも対話を始めましょう。高年齢再雇用の社員とも話すことが必要かもしれません。
正社員が残業を多くし、パート・アルバイト等は補助的業務だけを担う構造は変わりつつあります。貴社は、現状のパート・アルバイト等を戦略的に活かすことができそうでしょうか。
採用難の時代、今いる働く意欲のある高年齢者や子育て中のパート・アルバイト等が、社会保険の加入を選択することができる環境を整え始めてみてはいかがでしょうか。


鎌田 良子(かまた りょうこ)
ドリームサポート社会保険労務士法人/特定社会保険労務士
大手金融機関に15年間勤務、総務経理マネージャーとして勤務体系の整備や、人材育成に携わる。 出産を機に、働く女性の両立支援、子どもの教育支援などの長期的なキャリア目標の実現に向けて、社労士業界へ転身を決意。社会保険労務士事務所エスパシオを経て、2015年法人化に伴いドリームサポート社会保険労務士法人へ転籍。2019年社会保険労務士登録、2021年特定社会保険労務士付記。 現在は部門のリーダーとして多数の顧問先を担当、組織の顕在化していない課題の本質を捉え、お客様にとことん寄り添い共に課題解決を目指す姿勢が、経営者、人事担当者から高い信頼を得ている。 週4正社員制度を活用し、医療的ケア児のボランティア等の社会貢献活動に取り組む一方、社労士の枠にとらわれない学びを続け、チームビルディングや人の強みの見つけ方など学びの成果を顧問先企業に伝えるとともに、社内メンバーの指導、育成でも発揮している。

ドリームサポート社会保険労務士法人
東京都国分寺市を拠点に事業を展開し、上場企業を含む約300社の企業の労務管理顧問をしている実務家集団。

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