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#43|労働条件審査―公共サービスを利用する人と、そこで働く人のために

太田 祐子(おおた ゆうこ)
ドリームサポート社会保険労務士法人/社会保険労務士

労働分野の実務の参考となる情報を提供する「プロが伝える労働分野の最前線」第43回のテーマは、労働条件審査です。労働条件審査というと、詳しくわからないという方も多いかもしれませんが、公共サービスを利用する人の安全・安心、そして、そこで働く人の待遇を確保していくうえで、とても大切な取り組みです。ドリームサポート社会保険労務士法人の太田祐子さんが解説します。


はじめに 【公共事業の委託先企業を選ぶうえで労働条件審査が求められています】

突然ですが、皆さんは野菜を買うときにどういう基準で選んでいますか?
その昔は、味が余程まずくなければ安いほうがいいという判断だったかもしれません。しかし最近は、有機栽培であること、国産であること、お気に入りの生産者であることなど複数の基準をもって選ぶ人が増えてきています。

企業がどのような企業とお付き合いをするかの判断基準も、品質と価格だけではなく、コンプライアンスを遵守しているか? セキュリティレベルが高いか? など、拡がってきています。

公共事業を委託する民間企業を選ぶ際も同様です。
受託金額が低価格であることのみで委託を決定して良いのでしょうか?
価格だけでなく、企業が健全な企業経営をできているか、特に労働諸法令を遵守しているか、そこで働いている人が苦しんでいないか、これらの軸を判断基準に加えるため、労働条件の審査を実施する自治体が徐々に増えています。 

労働条件審査とは

労働条件審査とは、公共事業の委託を受けた企業に対して、労働条件などの面で法令を守っているかを、自治体から委託された社会保険労務士が審査するものです。
・労働社会保険法令に基づく書類が整備されているか
・書類の整備だけでなく、実際に運用されているか
この2点について第三者的立場で社会保険労務士が審査を行います。

労働条件審査が求められる背景

平成15年6月から指定管理者制度が始まりました。
指定管理者制度とは、公共施設を民間企業等に管理をしてもらう制度です。公共施設には、住民の利用を目的とした体育館や図書館、保育園、公立病院、上下水道、公園などがあります。それまでは行政が実施していたこれらの公共施設の管理業務を民間に開放することにより、民間業者のノウハウ活用や民間業者間の競争によるコスト削減を期待したものです。

しかし、行政からのコスト削減の要求が行き過ぎたものとなり、問題が生じたケースもあります。
これは指定管理者制度導入前の話ですが、市のプール施設を民間企業に一部業務委託をした際に事故が発生したケースがありました。
市が、委託した企業において適切な安全管理が行われていない事実を把握していなかったこと、コスト削減により最低賃金に近い待遇での求人をし、適切な人員を確保できなかったことが原因のひとつとされています。

指定管理者制度が導入されたあとでも、入札金額を抑えようとするために、その民間業者で働く人の人件費の低下、十分な人手をかけられずに少人数で運営することによる長時間労働の発生、社会保険料の支払いを惜しみ従業員を社会保険に加入させない、安全教育などが行われていない、などの法令違反も発生したと言われています。

「指定管理者の指定の手続は、各自治体で定めるものだが、果たしてコスト面だけで判断して良いのだろうか?」

こうした問題意識から、委託事業者が適正な労働条件で雇用しているかなど、労働社会保険に関する法令を遵守しているかを基準に含めるべきだと考えた自治体が、指定管理者選定のプロセスに労働条件審査を取り入れることとなりました。

労働条件審査の流れ

各自治体が社会保険労務士に労働条件審査を依頼した際の流れを記載します。
なお、労働条件審査を行う期間としては、審査範囲の広さや依頼する自治体によって異なりますが、1か月から3か月程度で実施されることが多いです。

資料出所:全国社会保険労務士会連合会のホームページより抜粋

細かくステップを紹介します。

Step1 打ち合わせでは下記のような項目を確認します。
依頼する各自治体と社会保険労務士の間で打ち合わせを行い、審査内容を決定します。

  • 社会保険労務士が行う審査目的の確認(例:指定管理者制度の導入、住民からサービス低下の意見が出た際の確認・対策など)

  • どこまで、何を審査するか

  • 自治体が求める報告書内容

  • 委託企業に対する改善提案などアフターフォローを必要とするかと、その内容

Step2 労働条件審査の実施
社会保険労務士が労働条件審査でチェックする項目例とそのポイントを示します。

  • 就業規則:労働基準監督署に届け出られており、労働者に周知されているか。

  • 各種書類:雇用契約書、賃金台帳などの法定帳簿等の整備、労働基準法で求められる各種労使協定が締結されているか、労働時間管理簿や年次有給休暇管理台帳が整備され、運用されているか。

  • 給与の計算及び支払い:残業代の計算が適正に行われているか。

  • 育児・介護休業制度:規定され、運用されているか。

  • 安全衛生関係:健康診断の実施、産業医や衛生管理者等の選任、業務災害防止への対策は実施されているか。

  • 各種保険の手続:年度更新や算定基礎届など必要な届け出が実施されているか。

その他必要な事項について、文書の確認だけではなく、労働者へのヒアリングも含めた現地調査も併せて実施されます。

Step3:審査報告書の提出
Step2で行われた審査結果を、委託された社会保険労務士が審査結果報告書として作成し、法令の遵守状況、是正の要・不要とともに各自治体に報告します。

労働条件審査導入の効果、実際に導入されている地方自治体

少し古いデータになりますが、東京都における実績として、千代田区、新宿区、江戸川区をはじめとして平成28年度は導入している特別区が20区、148施設を対象に実施されており、翌平成29年度もほぼ同規模で実施されています。
神奈川県でも海老名市、厚木市など、千葉県では流山市、市川市などで導入されています。

労働条件審査は各都道府県の社会保険労務士会が行っていることから、調査項目の範囲は若干異なるものの、その審査基準は、地方自治体ごと、民間企業ごとの独自基準ではなく、ある程度標準化されたものを利用でき、かつ第三者的視点を入れて審査することができます。

労働条件審査によって、労働基準法など各種法律を下回る労働条件で労働者を働かせている企業は改善または候補から省かれることにより、指定管理者の適正な労働条件確保に寄与しているといえるでしょう。

終わりに

公共事業の実施について民間企業への委託がすすめられていますが、コスト面だけでの選定をすることでのデメリットも生じてきました。
民間企業は経営上の判断で低価格での入札を行うことがありますが、結果的に現場にそのひずみが出て、最終的に住民サービスへの悪影響につながる可能性があります。

冒頭で、買い物で個人が選択する基準も、企業が関係企業を選択する基準も拡がってきていると述べました。
ESG経営という言葉が徐々に浸透してきていますが、ESGのGはガバナンスの略であり、健全な管理体制の構築が企業価値にも影響するといわれる時代です。働きやすい環境を整えることは、当たり前に行うべきことであり、長期的に見て企業価値を高めます。

この流れを鑑み、今後ほかの自治体でも労働条件審査を取り入れることが増えていくと考えられます。公共事業の受託の有無にかかわらず、社会保険労務士による労働条件審査を取り入れ、審査状況が良好であることをアピールすることは、企業のブランド力アップになるのです。


太田 祐子(おおた ゆうこ)
ドリームサポート社会保険労務士法人/社会保険労務士

外資系コンピューター関連サービス企業にて約10年間、多種多様な企業へのITインフラ環境の設計・導入に従事。2016年ドリームサポート社会保険労務士法人入社。22年社会保険労務士登録。
現在は、課長として新拠点開発を中心に、業務改善の指揮、労務相談も担当。メンバーのマネジメントにあたるほか、自身も一部上場企業を含むIT・運送業等、幅広い顧客を担当し、
人事労務管理の助言、人事制度コンサルティングを手掛ける。
法人としての顧客に寄り添うだけでなく、総務・人事部門の立場を尊重した実務的なアドバイスに定評がある。

ドリームサポート社会保険労務士法人
東京都国分寺市を拠点に事業を展開し、上場企業を含む約300社の企業の労務管理顧問をしている実務家集団。

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