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時々刻々|#7 本来的に、人は自分のために働いているのではないのか

年金時代編集長

本来的に、人は生きるために働く。なかには、働くことが楽しくて生きている、働けないのだったら、死んだほうがましだ、という人もいるかもしれないが、楽しいと感じるほどの働き方をしている人は、働くことに満足し、自己実現と言っていいのか、働くことのすばらしさ、尊さを実感しているわけで、このこと自体は否定されることではないし、労働とは本来的に尊いものなのだという思いに至る。そうしたことから、生きていくためにしろ、自己実現にしろ、自分のために働くということが、労働の本質だと思う。

ところで、資本主義の世の中にあって、人(労働者)は自分のために働いているという実感を持つことができるだろうか。資本主義経済では、生きていくためであれ、自己実現のためであれ、労働者自身が抱く労働の意味に関係なく、資本が求める働き方をすることによって、労働の対価として、賃金が支払われ、それによって、労働者は生活を成り立たせていく。「資本は価値増殖を目的とする」と大学の講義(マルクス経済学)で習ったが、お金を使って、モノを作ったり、サービスを提供したりして、そのモノやサービスをだれかに買ってもらうことで、はじめに持っていたお金よりも増えた(価値増殖した)お金を手に入れることが資本の目的とするところだから、資本が求める働き方とは、そうした価値増殖を実現する働き方のことだ。

しかし、お金を増やすことを目的とする資本による経済のしくみ(資本主義経済)では、資本家はより裕福になり、労働者は裕福になれずに、格差は広がっていくという指摘もある(ピケティ)。また、資本にとっては、価値増殖を実現する労働にしか興味がないから、資本のこうしたニーズに合わせて働くことで、労働者は、労働を自分のためというよりは資本のためという「疎外感」をいっそう強く感じてしまうだろうし、仕事に対する楽しさや充実感も感じなくなってしまうのではないか。

結局、資本主義では、労働は、資本の価値増殖のためで、労働者が生きるためとか自己実現のためとかいう理由は二の次のことだから、労働者のため、労働者の幸福のためということにはならない。

そう考えると、労働が労働者にとって、幸福をもたらすような働き方を実現できる、経済のしくみを展望するという、壮大なことを考えてしまうのだが、ひと昔前であれば、社会主義・共産主義革命なんていう語り口が出てくるのだが、いまを生きるわたしたちは、ソ連邦の崩壊を目の当たりにして、そんな言い方は口にするのもはばかられるし、それ以前から、党が支配する社会主義・共産主義国家ではほんとうに労働者は自分のために働いているという実感を持っているのだろうかという疑問はあった。いずれにしても、資本主義に代わる社会経済のあり方、そのレベルでの根本的な改革ということを考えていく必要があるのではないかと思ってしまうし、働き方改革ということでは、本来的な意味での働き方を実現できる、経済社会のあり方のほうを改革していく方向で位置づけていくべきではないかと思う。

<了>

年金時代編集長(ねんきんじだいへんしゅうちょう)
1991年(株)社会保険研究所入社。『月刊年金時代』編集・記者を担当。2017年4月ウェブサイト『年金時代』を開設、編集長に就任。このほか『年金マニュアルシート』(著者:三宅明彦社労士)などの年金相談ツールの開発・編集・発行に携わる。






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