情けない話(中村秀一)
悪夢の思い出
1996年秋、筆者は厚生省保険局の企画課長であった。バブル崩壊後の経済の低迷で医療保険財政が極度に悪化し、患者負担・保険料の引上げ待ったなしの状態になった。次期通常国会に法案を提出すべく準備を進めている最中に、特養ホームを経営する民間事業者からの収賄で当時の事務次官が逮捕されてしまった。
そうでなくとも評判が悪い負担増の改正に、トップの汚職で強烈な逆風となった。改正の最高指揮官の上司の保険局長が後任の次官として召し上げられるというおまけまでついた。当然、医療保険審議会も難航した。最終とりまとめの審議会を開いたが議論はまとまらず両論併記で終わった。会議終了後、最後まで反対していた連合の桝本純委員に「次官の件、大変だったね」と声をかけられ、不覚にも涙が出そうになった。
「官」の信頼失墜
こんな昔話を思い出したのは古川貞二郎さんの「誰が官僚を殺すのか」(文藝春秋5月号)を読んだからだ。後輩の事務次官の逮捕に接し、官房副長官であった古川さんは梶山静六官房長官に辞意を申し出たとのことだ。
今年に入り、総務省幹部の接待問題が浮上した。農水省幹部の接待問題もあった。また、今国会では各省の国会提出法案に誤りが多発するなど、省庁に対する信頼を損なう事態が生じている。
昨年は、直接は「官」の問題ではないにしても「桜を見る会」で終始した。さらに遡れば、財務省の文書改ざんに至った森友学園問題、その前には文部科学省による組織的な再就職あっせん問題もあった。
これらは内閣機能の強化を目指した2001年の中央省庁再編の副作用であり、長期政権の病理的側面であろう。古川さんの一文は、霞が関の現状を憂慮し、「政と官」が正常な状態を取り戻すことの一助となることを願ったものだ。
求められる使命感
そんな中で、3月末には厚生労働省老健局職員の大人数での深夜に及ぶ宴会が報じられた。誠に情けなく思った。
筆者は、老健局OBである。3年に1度の介護報酬の改定作業がいかに大変であるかをよく知っている。また、この局は人事交流で地方自治体等から多くの出向者を抱えており、年度末に苦労をねぎらい、送別をしたい気持ちも理解できる。
しかし、感染症対策を中心として担う官庁に属し、とりわけ欧米諸国において高齢者施設における感染死亡が高い比重を占めている状況下で、わが国の介護関係者に厳しい対応を求めていることを思えば、この分野を担当する公務員としてあり得ない行動であった。使命感の欠如と言わざるを得ない。
(本コラムは、社会保険旬報2021年5月1日号に掲載されました)