謎の新興国アゼルバイジャンから|#43 解題『ちょっと気になる政策思想』(下)社会保障を支える経済学
(承前)
社会保障に関わる経済学の系譜
政策思想としての経済学の系譜を解説した上で、著者は、それが様々に論じられる社会保障をめぐる政策論とどう関わっているのかを理解することが重要だ、と指摘しています。
社会保障は、市場経済という社会のメインシステムを補完するサブシステムとして生まれたものです。故に、「経済学」あるいは「経済学者」の立場から論じられる社会保障政策論を眺め、理解するためには、そこで論じられている「政策論」が、一体いかなる経済理論に依拠して展開されているのかを知らなければなりません。
まさに、論者が依って立つ「政策思想としての経済学」がどのような価値観に基づいて構築されたモノであるかを知る、という意味で、私たちは経済学を学んでおく必要がある、ということです。
申し上げたように、現代の経済学を(少なくともリーマンショックまで)支配してきたのは圧倒的に右側の経済学です。「見えざる手」への信頼を基礎におく右側の経済学では、論理必然的に福祉国家や社会保障制度はネガティブに評価されます。
自らを「主流派経済学」と自負する人たちの経済学説史観に基づいて社会保障を論じることは、はじめから結論が見えているようなものだ、と著者は言います。
著者は皮肉交じりにこう言います。
「経済学者はみんなまじめで自分の流派ばかりを猛勉強しすぎるので、他にも物の見方がある、ということを意識しないし、制度や歴史の怖さも知らない。制度も歴史も知らないまま論じる政策論ほど、怖いものはないのだ」と。
著者は、経済学者が展開する社会保障政策論について、辛辣なコメントを容赦なく浴びせています。
例えば、20世紀の終盤に盛んに展開された「公的年金民営化論」「積立方式論」については、
「社会保障の歴史を学ばない、社会保障に詳しくない普通の(右側の)経済学者が、右側の考え方に沿って公的年金を考える。オルテガが「大衆の反逆」の中で描いた「近代の野蛮人」たる科学者として社会保障の舞台で振る舞う。(中略)自分の操作する分析ツールが自身に先入観・偏見を植え付ける「色眼鏡」に変質するということだ、しかも、それが「科学」「学問」の名の下に本人が意識しないうちに頭の中を支配するのだから、経済学というモノは罪深い。
要するに、入り口で間違えると最後まで間違える。そういうことだ。」と。
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