#53|労務リスク診断のススメ
弊社は、「よい会社をもっとよくする」を事業基本方針として、社労士業を通じ、企業や組織に人事労務面のアドバイスを提供することを日常としています。
クライアントには、知名度が高く、社歴も長く、安定経営をしており、社会的に存在感の大きな企業・組織が多いのですが、それゆえに年々労務リスクが大きくなっていく例をいくつも見てきました。
本稿では、そんな「よい会社」をクライアントに有している私たちならではの視点から、「労務リスク診断」を行うことについてお伝えします。
労務リスク診断とは、どのようなものか
企業・組織の現場では、どんなときに人事労務にまつわる諸規程を改定しているのでしょうか。
法改正があったときは明確なトリガーとなりますが、そうでなければ、既存の規程を見直したり、改定したりすることは意外と少ないのではないでしょうか。
労務リスク診断は、企業・組織に存在している人事労務にまつわる各種規程(就業規則、賃金規程、退職金規程、人事評価制度関連規程 他)を点検し、法改正がキャッチアップできていない項目はないか、そもそも法に定める基準に未達である項目はないかを診断します。
それに加え、勤怠表、賃金台帳等、運用の結果を示す人事労務帳票類の点検を行い、運用が規程の定めと不一致であるところはないか、運用によって法違反状態になってしまっている項目はないかを診断します。
あわせて、現場で部下の労務管理を担っている「上司」の立場にある複数名にヒアリングを実施することで、人事労務にまつわる情報が現場まで浸透しているかどうかを確認するほか、別の視点から出てくるリスクについてもキャッチし診断していきます。
診断の結果は、健康診断の結果よろしく直ちに手を打たないと危険である高リスクの課題から、法違反ではないもののいずれ改善していくことが望ましいと思われる低リスクの課題までを浮き彫りにし、診断書としてお届けします。
いまや、労務リスクは、企業存続の危機となる経営リスクである
厚生労働省が発表した「令和4年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、総合労働相談件数は124万8,368件で、15年連続で100万件を超え、高止まり。民事上の個別労働紛争の相談件数では、6万9,932件(前年度比18.7%増)で11年連続最多となっています。
労務に対するコンプライアンス意識は高まり、ひとたび労務問題を発生させてしまうと、当該企業・組織は「ブラックだ」とレッテルを貼られ、社会的なイメージダウンが企業力の低下・存続の危機に直結する事態になることも現実にあるのです。
そのため、労務問題を未然に予防するための措置を、企業として講ずることが重要な経営テーマとして捉えられている状況が見受けられます。
なぜ、「よい会社」にリスクがあるのか
しかし、世にいう「よい会社」なら、そんなリスクはないのではないかしらと思いませんか。
それが、実態はそうでもないのです。現場で労使トラブルが起こると、そのタイミングで人事労務にまつわる規程や運用を見直すことになります。
従業員の定着に問題が起こると、組織開発(研修の実施や福利厚生の見直し等)や賃金制度の改定などに投資を行い、現場の改善・改革が進みます。
しかし、定着率もよく、社会的に知名度も高い、いわゆる「有名安定企業」ですと、社内に人事労務分野の不満・労使トラブルの火種があっても、退職までを決意するにはトレードオフが大きすぎ、トラブルを起こしたくないという気持ちのほうが勝り、労使トラブルが顕在化しないところでくすぶっていることが多いのです。
その結果、人事労務規程を基礎とした社内施策を改革する機会を逸してしまい、制度が相対的に時代遅れなものになっているとか、かつては違法とまではいえなかったものが、法改正を経て違法リスクが高まっている状態に至っているといった状況を放置することになってしまっています。
診断結果で高リスクとなる例とは?
「帰社日」とよばれる事業所への出勤が命じられる日以外は、直行直帰で現場に入り、とある機械のメンテナンスを行うことを業務とするA社では、就業規則上は、始業・終業の時刻が設定されているのですが、実は現場では、まったく出退勤の管理が行われていないことが、ヒアリングからわかりました。
どうも、当日の訪問先について「本日の現場は●●で、□時から□時までの作業(勤務)予定です」というリマインドメッセージが本人宛に送付され、OKリアクションをするというコミュニケーションは取っていたようですが、実際の勤務実績の把握はしていなかったというのです。
これまで長年それでよいとして動いてきていたとのことですし、社内から疑問の声も一度も上がったことがないということでした。
そこで、診断においては、働き方改革で労働安全衛生法が改正され、2019年4月より「労働時間の客観的な把握」が義務化されていること、労働時間の把握・管理がなされていないことで、未払い残業が発生している高リスクな状態に至っていることを指摘しました。
また、B社では長年、扶養している「妻」がいる場合には、その妻がいる社員に対して配偶者手当の支給を行うことを、賃金規程に定めていました。
扶養している配偶者が「夫」である場合はどうなるのか尋ねたところ、その場合は当然に配偶者手当は支給しないとのこと。労働基準法第4条の「男女同一賃金の原則」は、性別が女性であることを理由に男女間で賃金に差をつけることを禁じていますが、この規定は存在していても「夫を扶養」の実ケースが存在しなかったため、問題視をしてこなかったようです。
「夫を扶養」の実ケースが存在しないと言い切ることにも課題はありそうで、規程の存在自体が企業メッセージともなることから、改定することを提案しました。
A社もB社も長寿企業で、それゆえに過去に策定したルールが現在もそのまま生きているのでしょう。退職者も少なく、労務トラブルが露呈することもなかったということですが、不満を抱いている労働者の存在が見え隠れしませんか。
労務リスク診断と、IPO前の労務デューデリジェンスの違いは
労務リスク診断は、上場を目指す際に受けることとなる労務デューデリジェンスと監査項目やその手法が似ています。しかし、労務デューデリジェンスは外部監査人である社労士が実施するものであり、あくまでも中立の立場からの診断を下すことに徹します。
労務リスク診断は、企業・組織の一番近くの外側にいる味方の社労士が実施するものです。したがって、即刻の対応改善を求めるというスタンスではなく、診断結果をスタートラインにおき、企業・組織のスピード感にあわせて人事労務戦略を改革していくことに伴走するやり方なのです。
外部人材による診断を受けるメリットは
とはいえ、労務リスク診断も上場審査にあたっての労務デューデリジェンスと変わらず「外部」の人材が実施することに変わりはありませんね。
「中の人」がやるのでは足りないのでしょうか。
労務リスク診断を社内の人事労務分野のセクションで実施することも、是非定期的に計画していただきたいと思います。しかし、どうしても社内人財だけでは、「我が社の常識・世間の非常識」に気づけないものです。
他社事例に横断的に触れている外部人材を活用すると、社内人財では気づけなかった課題を知ることができます。
また、外部人材の最大の利点は、社内のヒエラルキーに属さない独立した存在であること。「ココが変だよ」と忖度なしで進言することができるのです。外部人材は、社内の誰の部下でもないし、上司でもない、それがポイントです。
なお、新卒から一貫して同一企業で勤め上げてきているというタタキ上げの方は、たとえ部長職に就任したとしても「わたしは、この会社のことしか知らないので」と仰います(ご謙遜によるものだと存じますが)。
また、転職により、新たに当該企業・組織の人事労務部員となった方は、他社での豊富な経験を有していたとしても、上司に進言するには一定の心理的制限がかかるものです。
そういった背景をみると、日本企業においては、かもしれませんが、外部人材の役割は大きいと考えます。
安中 繁(あんなか しげる)
ドリームサポートグループCEO
ドリームサポート社会保険労務士法人 代表社員/特定社会保険労務士
税理士事務所に入社後、企業経営者の支援に携わり、 2007年安中社会保険労務士事務所開設。2010年特定社会保険労務士付記。2015年法人化し代表社員に就任。企業の現場と行政の架け橋となるべく、全国300を超える中小企業、大企業の顧問社労士として企業人事労務経営をサポート。
2023年10月、内閣府におかれた「規制改革推進会議 働き方・人への投資ワーキンググループ」専門委員に就任。厚生労働省の動画講師を担当するほか、全国社会保険労務士会連合会において働き方改革をけん引する委員も務める。
NHK、フジテレビ、テレビ朝日ほか、キー局情報番組に専門家として出演もしている。著書『新標準の人事評価 人が育って定着する〈二軸〉評価制度の考え方・つくり方』(日本実業出版社)、『週4正社員のススメ』(経営書院)他多数。
ドリームサポート社会保険労務士法人
東京都国分寺市を拠点に事業を展開し、上場企業を含む約300社の企業の労務管理顧問をしている実務家集団。
ドリサポ公式YouTubeチャンネル
代表 安中繁が、労働分野の実務のポイントをわかりやすく解説している動画です。ぜひご覧ください。