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数理の目レトロスペクティブ|#19 給付の水準と制度分立

坂本 純一(さかもと じゅんいち)/(公財)年金シニアプラン総合研究機構特別招聘研究員
1975(昭和50)年東京大学大学院理学系研究科数学専門課程修了(理学修士)、厚生省に入省。99(平成11)年年金局数理課長。2004(平成16)年の年金制度改正で数理を担当。同年厚生労働省退官、野村総合研究所などを経て現職。

「数理の目レトロスペクティブ」は、『月刊 年金時代』(社会保険研究所発行)に2007年6月号から2017年3月号まで118回にわたり掲載された「数理の目」(坂本純一著)に、必要に応じて加筆・修正を加え、著者自身が今の視点でコメントを加えた企画です。(年金時代編集部)

 わが国の公的年金制度は、1985年当時、10の制度に分かれ、就く職業により適用される制度が異なっていた。その後、徐々に統合が進んできたが、まだ完全ではなく、制度分立が継続している。そもそもなぜこのように多くの制度が分立し、職業で適用される制度が異なるようになったかという点は、おおむね4つの流れがある。

 第1の流れは、明治政府が官吏恩給制度を導入したことである。これは一定年限公務に就いて退職した官吏や軍人に対する国の恩恵的給与という側面を持っていたが、やがて非官吏の公務員に対し導入された共済組合制度へと発展統合されていく。国家公務員共済組合、地方公務員共済組合、旧三公社共済組合がこの流れに該当する。

 第2の流れは社会保険制度興隆期における制度導入の流れである。厚生年金や船員保険がこれに該当する。

 第3の流れは、社会保険制度完成期における制度導入である。国民年金がこれに該当し、自営業者や農業者などの所得把握ができないために、これらの者に厚生年金を適用するわけにはいかず、新たな制度が分立する形となった。

 第4の流れはこれら3つとは少し趣を異にする。それは厚生年金の1954年における改正の際に起こった。厚生年金保険制度は1942年に導入されたが、戦後の激しいインフレのために、給付水準が著しく低下していた。このため、厚生省(当時)は給付を意味のある水準に引き上げる提案をしたのであるが、将来の負担増を心配する事業主の強い抵抗にあい、1954年の改正では給付改善を断念せざるを得なかった。この折衝を見ていたいくつかの職域で、自ら年金制度を導入し、意味のある給付を行おうとする動きが出てきた。新しく適用が拡大される予定であった私立学校教職員や、すでに厚生年金の適用を受けていた農林漁業団体等の職員などである。こうして私立学校教職員共済組合(私学共済)と農林漁業団体等職員共済組合(農林年金)が設立された。

 この第4の流れは、制度がなかったグループに新しく制度を導入し適用するというものではなく、適用する制度がありながらそれから分離独立するというものであった。この点で最初の3つの流れとは異なる性格を有する。この動きは、強制適用により、現役世代が生産した財・サービスを人生における経済リスクに遭遇した人々に強制的に分配するという社会保険制度の財政基盤を揺るがす動きであった。当時の社会保障制度審議会もこのような制度分立に対し警告を発していた。

 その後、わが国では鉄道共済年金や農林年金の財政の悪化を経験し、我々はこのような制度分立が国民生活の安定に寄与しないことを知っているが、第4の流れから得られる教訓は、多くの国民をカバーする公的年金制度の給付水準が十分ではない場合、制度分立の動きが出るということがある。それは社会の安定に寄与しない。実際、当時この動きは民間大手企業に波及し、最終的には厚生年金基金制度の導入に至ったという歴史がある。

[初出『月刊 年金時代』2008年12月号(社会保険研究所発行)]


【今の著者・坂本純一さんが一言コメント】

 わが国の被用者年金制度は、2015(平成27)年10月から完全に一元化された。今回は、このように被用者年金制度が一元化されるに当たって、何が鍵としての役割を果たしたかを考えてみよう。

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