時々刻々|#11 安倍元首相の死と憲法改正を考える
年金時代編集長
安倍元首相が7月8日、銃で撃たれ、亡くなりました。
参院選最終日の10日、再開された街頭演説は、「暴力による言論への攻撃を非難、民主主義を守る」という訴えに一転。結果、自民党が大勝しました。そのことは、憲法改正に必要な勢力を維持することにもなりました。
正直、わたしはこれまで憲法改正論議を身近に感じてこなかった人間でしたが、今回のショッキングな事件を映像を通してですが、目の当たりにして、憲法改正ということについて、一気に、わたしなりに答えが出たような心持ちになりました。
日本国憲法では、
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
――と国の戦争の放棄について記しています。
安倍元首相は憲法改正を自身の基本政策に掲げ、第九条に「『自衛軍保持』」を明記すべき」(安倍元首相の公式サイト)と言い、憲法改正論議をリードしてきました。
しかし、武力(武器)を保持することは、それによる威嚇、行使につながります。そうするために保持しているわけですから、国を取り巻く情勢が変わり、威嚇・行使する環境が整ってくれば、保持が実行に移されることになります。
安倍元首相はテロの標的となり、銃器が行使され、殺害されました。政府に対して、自国の武力が行使されるのは軍事クーデターですが、首相経験のある国を代表する人物がテロの被害に遭うとなると、これは個人の事件では済まされません。しかも第九条に「『自衛軍保持』を明記すべき」とした元首相をテロの対象としたのが、皮肉にも元海上自衛隊員だったということも因縁めいたものを感じます。
武力を保持することは、個人のレベルにおいても国のレベルにおいても、「武力による威嚇又は武力の行使」ということが想定の範囲となってくることにほかなりません。
安倍元首相の死から、武力を保持するとはどういうことなのか、元首相は自らの命と関連づけて、本人の思惑とはまったく反対の方向(「護憲」)で、憲法改正論議を考えていかないといけないということを突き付けたような気がします。
そして、第九条が記された「武力を保持しない、行使しない」、「戦争を放棄する」ということを、希望とか、理想とかというのではなく、精神的支柱として刻み込まなければ、人の命が失われる事態を容認してしまうことになると思うのです。