[インタビュー]このひとに聴く②大妻女子大学短期大学部教授 玉木 伸介さん
下部構造である経済の在り方に上部構造の年金制度を適合させるのが制度改正
下部構造が上部構造を規定する――唯物史観で年金制度改正を展望する
――玉木さんは、労働の在り方の変化に適合する年金制度という問題設定から、制度改正を論じていますが、なぜ、このような考え方をされるようになったのですか。
私が大学生だった1970年代の東大経済学部は、授業の半分がマルクス経済学でした。マルクス経済学では、経済の在り方を下部構造と言い、下部構造が政治的・法律的な制度などの上部構造を規定する、という考え方で社会を捉えようとしました。唯物史観という歴史観ですが、これによると、いまの資本主義経済という下部構造に、上部構造としてある公的年金保険制度などの社会保障制度が規定されることになります。そこでは、下部構造が変われば上部構造はそれに応じた変化を強いられるから、上部構造にある社会保障は下部構造である資本主義経済の変化(その重要な一部が労働の在り方の変化)に適合するよう変えていくことが求められる、ということになるのです。
いま起きている下部構造の変化、経済の在り方の変化のかなりの部分を、少子化や寿命の延びに起因するものと捉えることができます。1947(昭和22)年から1949(昭和24)年に生まれたベビーブーマー(いわゆる団塊の世代)たちがいま75歳以上の後期高齢者となり、本格的、最終的に引退し始めています。ベビーブーマーやそのすぐ後の世代は毎年180万~200万人くらいいて、20歳前後は110万~120万人くらいですから、労働人口の動きもこれと整合的なものになるはずです。また一方で、寿命の延びは雇用期間の延びとしても現れています。
人手不足について言えば、これまでの経営者は甘やかされていたと思います。これまでの日本社会には、ベビーブーマーと、1971(昭和46)年から1974(昭和49)年に生まれた第2次ベビーブーマー(いわゆる団塊ジュニア)という2つの労働人口の山があったために、第2次ベビーブーマーが働き盛りの20代から40代であった1990年代から2010年代は、日本経済を担うに足る分厚い労働力が存在する一方で、ベビーブーマーは労働市場に余剰感をもたらしかねない存在でした。
そうしたことから、これまでの経営者は、人間がいかに希少性の高い存在・生産要素であることに、あまり気づかされることがありませんでした。こういう状況が、ただでさえバブル崩壊で各企業の人員が余剰になりがちな中で30年近く続いて、「人は余っている」という観念が企業社会の中にすっかり染み付いてしまったのです。一部に、いかにして自分の会社を新卒の学生に選んでもらえる会社にするか、中途採用市場で優秀な人たちにアピールするか、と一所懸命考えながらやっている経営者はいますが、まだまだ上から目線が抜けないまま、「入りたいなら入れてあげるから志望理由をきちんと言ってごらん」「いやな人は辞めてもらってもいい」とでも言わんばかりの勘違いをした経営者もたくさんいます。そういう経営者は、だんだん人手不足の経済に移行していく中で、自分の不明を思い知らされることになるでしょう。
就職氷河期を経験した世代においては、婚姻が減ったり、離婚が増加したりと、男女関係にも変化が現れています。私たちが若かった時代(昭和の終わり)では、若い男性が結婚相手を選ぶときに、女性の収入にはあまり関心を払いませんでした。総合職の男性が合コンをすると、総合職の女性はそもそもほとんどいないので、誘う相手は一般職の女性でした。ところが、現在の若い男性は、女性の収入に大いに関心を持ち、またいまは総合職の女性もいっぱいいるから、総合職の男性は、総合職の女性を合コン相手に選ぶようになりました。なぜかというと、収入が相応するからで、結婚相手に対して、生活費なども折半して負担してくれる人を求めるようになっているからです。この結果が「同類婚」と言われる現象です。
均等待遇となった女性は経済力もあるから、結婚の在り方も変わってきています。嫌になった男性といつまでも結婚し続ける理由もないので、離婚が増えることになります。やがては単身高齢者が増えていくことになります。このように、経済・労働の在り方が男女関係や家族の在り方すら変化させているのです。
喫緊の課題は厚生年金保険の適用拡大
――こうした経済の在り方としてある下部構造の変化に、上部構造としてある年金制度をどう適合させていかなければならないとお考えですか。
喫緊の課題は、さらなる適用拡大でしょう。適用拡大はこれまで段階的に進められ、2016(平成28)年10月には501人以上の企業で、月収8.8万円以上等の要件を満たす短時間労働者に拡大され、2017(平成29)年4月からは500人以下の企業で、労使の合意に基づき、企業単位で短時間労働者への適用を可能としました。そして、令和2年年金制度改正では、2022(令和4)年10月に100人超規模の企業まで適用の対象とし、2024(令和6)年10月からは50人超規模の企業にまで適用を拡大していくこととしています。
適用拡大とは、一言で言えば、第1号被保険者および働いている第3号被保険者を第2号被保険者にする、ということです。第3号被保険者はサラリーマン世帯の(専業)主婦であることが多いのですが、第1号被保険者とはどういう人々であるのかをまずは確認しますと、年金制度の解説を見れば、「自営業者や農業従事者など」と説明されていることが多いと思います。国民年金制度が創設された1961(昭和36)年当時、農業従事者はいまの10倍くらいいましたし、国中に商店街があって個人商店が軒を連ねていました。耕地を持つ農家、店を持つ商店主が国民年金加入者のイメージでした。
冒頭、マルクス経済学を持ち出しましたが、マルクス経済学では、資本家(ブルジョアジー)と賃金労働者(プロレタリアート。自分の労働以外に何も持たない人)を考えますが、そのどちらでもない中間的な存在である自作農や自営業者を、「小さなブルジョア」という意味なのでしょうか、「プチブル」と言います。年金制度創設時の国民年金加入者は、主に耕地や店という生産手段を所有する「プチブル」が想定されていたと思います。
その後、農業人口は激減し、特に地方ではシャッター通りが多くなりました。スーパーマーケットやロードサイド店で働く人は賃金労働者ですからプロレタリアートですが、その中の短時間労働者は第1号被保険者ということが多くなりました。
2021(令和3)年8月に公表された「令和元年公的年金加入状況等調査結果の概要」を見ればわかりますが、第1号被保険者のうち、個人経営の商店主、工場主、農業主等の事業主や開業医、弁護士、著述家、行商従事者等の自営業主――その中には請負をしている自営業主も含まれますが――は15.6%で、それに加え自営業主の家族で、その自営業主の営む事業に従事している家族従業者が6.6%となっています。これを合わせてもいわゆる自営業主と言われる就業者は22.2%にすぎません。
それ以外の第1号被保険者の内訳はと言うと、会社員・公務員が35.5%、その他の働き方11.5%、非就業者・不詳30.8%となります。この数字が、これまでの適用拡大の結果、被用者であるのに第1号被保険者という方がある程度は減った後のものであることにご留意いただきたいです。
適用拡大とは、厚生年金に入れない第1号被保険者の労働者(第1号被保険者の35.5%を占める会社員・公務員)と働いている第3号被保険者を第2号被保険者とすることにほかなりません。自営業者ではない被用者がそもそも第1号被保険者であること自体が、違和感をもたらすおかしな話なのです。この違和感は、下部構造に上部構造が適合していないときに人々が抱く感覚です。この違和感を解消することが、上部構造を下部構造に適合させることでもあるのです。
ここで、第1号被保険者と第2号被保険者の違いを確認しておきましょう。プチブルの第1号被保険者は、生産手段を持ち、定年もありませんから、老後の生活保障を確保しやすい、すなわち、大きな年金制度がなくてもなんとかなるかもしれません。これに対し、第2号被保険者は、生産手段を持たず老後の生活保障を年金に求める度合いが強いので、より大きな年金制度である厚生年金保険に加入します。
ここで問題になるのが、プロレタリアートである第1号被保険者の老後の生活保障です。この方々の老後を支えるためには、被用者は基本的に厚生年金保険制度で支えるべき人々である、という原則を確固として持ち、適用拡大を推進すべきなのです。もう一つ重要な点は、第2号被保険者であれば、収入・標準報酬に比例した保険料を労使折半で払い、基礎年金と報酬比例部分を受け取りますが、この仕組みの下では、より高い収入を得ている被用者からそうでない方への再分配が行われることとなります。こういう再分配の輪の中に、すべての被用者が、特に非正規労働に従事するなど経済力の弱い人々が、入れるようにすべきなのです。「130万円の壁」を意識される短時間労働者がいますが、老後への備えの仕方として、収入の低い人にとっては、厚生年金加入がとりわけ効率のいい備え方だということがちゃんと伝われば、積極的に第2号被保険者になってみようという気持ちになるでしょう。そうなれば、「被用者は第2号被保険者」という原則に基づいた適用拡大がより円滑に進むのではないでしょうか。
これまで、第2号被保険者の事業主負担については、事業主にとっての負担の側面ばかりが強調されてきました。しかし、人手不足という現象が下部構造で起こっているのですから、事業主負担もできないほどに付加価値生産性の低い事業の継続はいっそう困難になっていくというメカニズムを無視することはできません。最低賃金が毎年30円、40円と上がるようになり、企業の中には5%、6%の賃上げをするところもあると報じられている中、いろんな意味で職場としての魅力を高めないと、ほんとうに労働力を確保できなくなるという危機感が、実は企業社会の中で少しずつではあっても広がってきているのではないかと感じています。適用拡大は、就職氷河期以降、大事にされてこなかった労働者を、企業が労働力の希少な担い手として大事にせざるを得なくなってきた、という変化に対する適合のルートと捉えることができると思います。
最近は食品などの生活必需品や外食産業でも値上げが珍しくありません。こうした値上げは、家計にとってはつらいのですが、世の中がパニックになるようなことにはなっていません。企業において、賃金を上げてもある程度は値上げを消費者に許容してもらえるという実感を持てるようになれば、企業家の精神的安定を確保できるようになるのではないでしょうか。事業主負担をしてでも人材を確保しようという変化が企業経営において生ずれば、適用拡大の機運は増していくでしょう。
――基本的に雇用関係があれば、被用者保険に入るべきですが、フリーランスへの適用拡大についてはどうお考えでしょうか。
フリーランスの中でも、非常にハイスキルの、いかにもフリーランスという言葉がぴったりの働き方をする人たちは、第1号被保険者でよいという見方もあります。他方で、社会保障は多少おせっかいなところがあっていいと私は思っていまして、ある程度、労働者性がある働き方をしている就業者には、被用者保険に入っていただいたほうがいいと思います。そのためには、さきほど話したような厚生年金保険の所得再分配機能についてもしっかり伝えていくべきで、比較的収入の少ない第2号被保険者は再分配の受け手になること(厚生年金加入が有利であること)を理解してほしいですね。
所得再分配機能の維持では国民年金の45年加入も
――今後の年金制度改革の方向性ということでは、前回の令和2年改正を議論してきた年金部会が2019(令和元)年12月27日にまとめた「社会保障審議会年金部会における議論の整理」において、「年金制度の所得再分配機能の維持」を挙げています。経済の在り方の変化に対して年金制度を適合させていく観点から、とりわけ基礎年金についてはどのように所得再分配機能を維持させていくべきだとお考えですか。
平成16年改正でマクロ経済スライドが導入された当時、長期のデフレは予想されていませんでした。しかし、経済が長期デフレになってしまったことで、基礎年金のマクロ経済スライドによる調整期間が長期化して、給付水準を低下させてしまっています。このことは、年金制度の防貧機能を弱めてしまうことになります。それと同時に、所得の多寡にかかわらず一定の年金額を保障する基礎年金の所得再分配機能が弱まることにもなります。
ここで注意していただきたいのは、公的年金制度の重要な機能の一つとしてある所得再分配機能を弱めようとは誰も意図していないし、そのような政策判断もしていないのにもかかわらず、再分配機能が弱まってしまうということです。非常におかしな事態が起こっています。
1階部分の基礎年金が減るということは給付額の2分の1を占める国庫負担が減ること、税金の投入が減るということでもあります。そもそも国庫負担をするにあたっては、国庫負担が基礎年金の財源の安定を通じて再分配を支えるということも当然考慮に入っていたはずです。予想されていなかった長期のデフレで再分配機能がいつの間にか弱まってしまうということについては、財政当局もしっかり考えていただきたいです。
――おかしな事態や違和感のある事態が起こっているということは、経済の在り方の変化に年金制度が適合してないということになりますが、適合するような制度改正を実行していく場合、それを政策的に実現させていくのか、あるいは平成16年改正のフレームに基づき、経済の在り方の変化を経済前提に織り込んで適合するオプション試算を打ち出していくのか、どういう方法をとるべきだとお考えですか。
経済前提としての物価上昇率、賃金上昇率、運用利回りなどをうまいこと設定することで、これらの違和感ある事態に対応することは、基本的にはできません。
従って、政策的な対応が求められることになりますが、名目で給付が減ることに対する違和感みたいなものを完全には乗り越えられていないから、平成28年改正で、名目下限措置を維持し、賃金・物価上昇の範囲内で前年度までの未調整分を調整するキャリーオーバーの改定ルールを導入したわけです。デフレになっても基礎年金の最終的な給付水準が低下しない仕組みをつくることは、名目で給付が減ることの違和感を克服できない限りは無理です。そうであれば、むしろこの現実を踏まえて、どうやったら所得再分配機能を確保・強化できるかを考えるべきです。
そのためには、さらなる適用拡大を措置する法律改正をして、それによって基礎年金の給付水準の調整着地点を少しでも上げることが真っ先にやるべきことですが、これですべて問題が解決するわけではありません。次にやるべきことは、国民年金の加入期間を45年に延長することだろうと考えます。
国民年金制度は制度創設の1961(昭和36)年以来、40年加入なのですが、現在は健康寿命も延び、60歳以降も多くの人が働くようになっています。そういう時代にあって40年加入の制度のままでいいのかというと、いかにも違和感があります。下部構造として、寿命が延び、就労期間も延び、就労に求められる身体能力のバーも下がってきています。たとえば、40年前に作ったコンピュータシステムのトラブルに対応するには、そのシステムをよく知る年配のシステムエンジニアがいないとどうにもならない、というようなことがよくあります。そうした人々の労働に対する社会的ニーズはものすごく高いし、そうした技術を持っているシニアは働く意欲を持ち得ると思います。自分がいないとシステムが止まってしまうということだから、働くことに対して、相思相愛の関係になりやすいのです。また、近年の若返りに着目すれば、70歳くらいまで週5日のフルタイム、70代前半は週3日働く、というような働き方・暮らし方に移行することが、寿命が延びていくという変化に対する人間の反応として、ごく自然な感じがします。
そうであれば、どこから手をつけるかといったら、国民年金への加入期間を40年から45年に延長することではないかと思います。私は現在66歳ですが、同級生はみんな働いています。10年前だと65歳まで働くというと、ヒェ~という驚きの感じがあったり、職場ではポストがないのに上が詰まってしまうじゃないかと拒否反応に近い感じがあったりしましたが、いまはベビーブーマーがごっそり抜け、ベビーブーマージュニアやもっと若い世代の人たちは、60歳や65歳で引退するのはいかにも不自然だと思い始めているのではないでしょうか。
実際に65歳になっても、意外と体は動くし、ポストコロナにあっては、業種によっては在宅勤務があたりまえにもなって、60代後半から70代にかけて、働くという選択が年々容易になりつつあります。そうであれば、こうした下部構造にある働き方の変化に対して適合するためにやるべきは国民年金制度への45年加入なのだろうと思いますね。
もとより、45年加入が国庫負担の増加を伴うとすれば、安定財源の確保を避けては通れません。しかし、国家財政を寿命の延びという変化に対応させていくうえでどう考えるべきか、という広い視野を多くの人々に持っていただいて、議論を深めていきたいものです。
腹落ちしない制度は信認に結びつかない――財政検証の意味を知る
――前回令和2年年金改正では、75歳まで繰下げ受給ができるようになりましたが、現実には60代後半において働いている人も増えてきています。職場にも60代後半の人が働いているのを目にするようになっています。そうすると、60代後半は働いて70歳から年金受給を選択することの現実感が高まってきていますね。
そうであるのに、第1号被保険者は59歳で保険料を払い終えてしまうのは、いかにも変だし、違和感があります。こうした違和感が制度改正を突き動かしていくエネルギーにもなるのです。
制度に対して、なんか変だなと違和感を持たれてしまったら、制度の信認にも関わってきます。そうなると、いくら制度の周知・広報をしたところで、理解が進まないどころか、違和感ばかりが募ってしまいます。「なるほど、そういうことか」と腹落ちする制度設計にしていかないと、制度自体に対する信認にも結びつきません。信認に結びつくようにするには、人々の生活感覚と年金制度が合っていることが大事なのです。
第1号被保険者は59歳で保険料納付が終わることに対して、多くの人はなぜだろうと疑問を感じるだろうし、その理由が国庫負担分の財源が確保できないから、ということでは、多くの場合、納得いかないでしょう。だから、国民年金が45年加入となるのは、不可能ではないと思っています。
――上部構造としてある年金制度は、下部構造である経済の在り方、労働の在り方に規定されるということですが、そう考えると、財政検証とは、経済前提として仮定した経済の在り方に対して、年金制度がどの程度、整合するかを検証する作業ですし、オプション試算は、経済前提に対して、整合性を確保する働きかけだと思いました。
財政検証では、向こう100年間、所得代替率で見た給付水準が5割を維持できるかどうかを検証しますが、見方を変えれば、過去5年間、10年間の下部構造である経済の在り方の変化と年金制度との不整合がどのくらいあるか、また、経済の在り方の変化を反映した人々の意識と年金制度との違和感がどの程度のものなのかを5年ごとに確認する作業だ、という言い方もできます。5年に一度、オプション試算まで展望した議論をするのであれば、50%を割るか割らないかの数値を示すことはもちろん大事なことではありますが、人々の意識が5年間でどう変わったか、そして、意識のもとになる働き方がどう変わったかをみんなで考えてみることが、非常に有益ではないかという気がします。
そして、この違和感が年金制度に対する信認の低下につながってしまうことに警戒心を持ち、ちゃんと信認が得られるよう、経済の在り方に適合し、人々に違和感を持たれないよう制度改正をする必要があるのです。年金制度が信認されていれば、人々は安心して、合理的な経済行動ができるので、経済全体に良い影響が及びます。このことをわかりやすくお伝えするために、逆に不合理な経済行動の例を挙げてみましょう。年金制度がちゃんとあるのにそれが人々の信認を得られず、若者が将来に不安を感じ、子どもを持たなかったり必要以上に預金に精を出したりしたら、経済は縮小してしまいます。年金制度が信頼されていれば、がんばって75歳まで働けば、リタイア後は年金がしっかり支給されて楽しい生活が待っていると、人々は信じるでしょうし、希望を持って過ごせることになります。このように世の中が明るくなるということは、企業経営者にとってみれば、ビジネスが成功する確率が高くなるということです。そうなれば、より積極的に研究開発や人材に投資したり、より多くの人を雇ったりするだろうし、経済も好循環に向かうことになります。年金制度の説明を聞いて腹落ちするよう、下部構造と上部構造との整合性が高い制度にしていく、そのためのシミュレーションを5年に一度やるというのも、財政検証の機能としてあるのではないかと思うのです。
高齢期の就労と年金受給の在り方を考える――高在老には違和感がある
――先に挙げました令和2年改正時の年金部会がまとめた「議論の整理」では、今後の年金制度改革の方向性として、「高齢期の就労と年金受給の在り方」も挙げられていました。これについて、経済の変化、働き方の変化に適合した年金制度の在り方の観点から、制度改革の方向性についてお聴かせください。
受給開始年齢の上限を75歳まで引き上げました。実際に65歳支給に比べて1.84倍の年金を受給して豊かな老後を実現した人が目の前にいるという動かぬ証拠を人々が目の当たりにするようになると、だんだん65歳とか75歳とかの特定の年齢が意味を失うのではないでしょうか。逆に、なぜ75歳までしか繰り下げられないのか、という感覚を人々が持ち始めるようになります。やがて、人々が75歳まででは物足りなく思うようになると、76歳、77歳としたって、年金財政にとっては新たな負担が生じることではないのになぜやらないのか、という流れになるかもしれません。
その一方で、70歳以降も働く人が増えてきたのに、厚生年金の加入は70歳になるまでというのでは、働き方に整合していると言えないのではないかと感じる人も出てくるでしょう。70歳以降も厚生年金に加入できれば、もちろん報酬比例部分の年金は増えていきます。人々が長生きするようになってきたのだから、最後まで人間の尊厳を保って生きていくためにはより多くのお金が必要になります。それを働いている間になるべく生み出すことによって、80代、90代になったときに豊かな老後生活が送れるように準備しておくという理解あるいは志向が、だんだんと広がるはずです。
このように「勤労をやめて年金生活に入る」というライフイベントの到来がどんどん遅くなる、つまりより高い年齢でのイベントになっていくと、賃金と老齢厚生年金の合計額が47万円を上回ると年金が支給停止されるという65歳以上の在職老齢年金制度(いわゆる高在老)についても、ちょっと変だよなということになります。高在老を廃止することに対して、金持ち優遇だという議論がありますが、それは金持ちの定義の問題でもあります。たとえば60代後半で年収500万~600万円という人は、10年前は相当恵まれていた人だったと思います。しかし、現在は、さきほどの40年前の古いコンピュータシステムを知っているシステムエンジニアであれば、65歳を過ぎても、その仕事が正当に評価されれば500万~600万円くらいの年収を得るのではないでしょうか。そういう人たちは特に恵まれているわけではなく、働き方が変わってきた結果としてそうなっているのです。65歳以降も数十%の人、若いころからある程度高度な労働をしてきた人が、65歳前と同様に高度な労働をする、あるいは高度な労働を週3日するようなことが一般化していくと、全世代の被用者の平均値をちょっと超えるくらいの人たちというのはそんなに例外的ではなくなってきます。そういう人たちに、あなたは経済的強者だから年金をカットします、と言えるでしょうか。それでは違和感が募ると思います。
また、高在老の対象となるのは、厚生年金保険の適用事業所で働く被保険者や70歳以上の方の賃金ですから、かつては被保険者であってもいまは金融資産や不動産などの資産から生ずる所得のおかげで経済的な強者になっている人の年金はカットされません。
高在老による支給停止対象額は約4,100億円と厚労省は試算し、そのことにより所得代替率が0.2~0.4ポイント改善されるということですが、確かにそうなのでしょうが、60代後半で年収500万~600万円というように平均よりちょっと多めだけれども、特に恵まれた人でもなんでもない、むしろ普通の庶民のカテゴリーの中に十分入るという人たちに対して年金をカットするということが、年金制度への信認を高めるのか、いまの世の中の働き方に適合したまともな対応なのか、じっくり議論すべきだと思います。
もちろん、高在老を高齢者の世代内の再分配・公平性確保の方策として捉え、その廃止と同時に所得課税の公的年金等控除のように高所得者に有利なものを縮小することのほうが素直ではないか、という議論はあるでしょう。これはこれで、おおいに一理あります。しかし、寿命がどんどん延びているという下部構造の変化への適合としての高在老廃止の議論を、まったく脇に置いてしまうほど強力な議論とも思えません。議論の文脈が2つあるということだと思います。
――高在老の調整を受けないように就労調整する人も出てきますね。あるいは、企業のほうで、高在老でカットされないような賃金を出すという対応もしかねません。
すごくマニアックなことを言いましょう。たとえば65歳になった人を雇っている社長がいるとします。そうすると、69歳まで保険料を払うことになりますが、社長は「あなたは73歳まで働いてください。しかし、給料は69歳までは少なめに、70歳になってからは多めに払います。そうすると事業主負担が少なくてすむし、働くあなたも高在老にひっかからないですよ」と持ち掛けるかもしれません。これは雇う側と働く側の両方において、有利な方法です。
こういうことは起こり得るところですが、こういう行動は、「うまいことをやる人は得をする(しかも法律その他のルールには反しないから一切お咎めなし)」という、世の中に対してすごく悪いメッセージを送ることになってしまいます。高在老という制度があるためにくだらない裁定行動が起き、年金制度への信認も損なわれてしまうのです。こんなことを許容するような、あるいは招きかねないような高在老という制度は、いかにも変だということになりませんか。
新型コロナも下部構造の働き方を変えることに
――適用拡大、所得再分配機能、高齢期の就労と年金受給の在り方の観点で、お話を伺いましたが、経済や労働の在り方の変化に適合した年金制度の在り方として、そのほか、検討課題はありますか。
遺族年金や加給年金は、家族であることで支給される年金ですが、家族や結婚の在り方も多様化してきて、法律で支給される条件には当てはまらない家族や結婚の在り方もあります。そうしたなか、遺族年金や加給年金の支給要件と、人々が抱く常識とが整合性を持つかどうかということも、年金制度の持続可能性を考えるときに、考慮していなければなりません。
――新型コロナも私たちの働き方を変えることになりましたね。
新型コロナを経験して、世の中全体が在宅勤務、リモートワークに習熟しました。60代後半の人たちにとっても働きやすい働き方ができるようになりました。たとえば、週3日在宅で週2日出勤という勤務態勢も可能となっています。人間はだんだん老いて死んでいく過程の、ある部分まではちゃんと働いて社会的存在でいられる、そういう働き方ができるような変化が下部構造において生じてきました。昔だと急性の病気でストンと死んだのですが、いまは要介護、認知症になるまで生きて、時間をかけて死に至ります。そうすると働く能力も少しずつ失われていくわけですから、少しずつ失われた勤労能力に見合って勤労を少しずつ減らしていくことが、ごくあたりまえなことになります。だとすれば、60代後半で働くことを完全にやめてしまうことは、むしろ例外的なことになります。また、普通にみんな働いている中で何割かの人に「賃金と報酬比例部分を足したら47万円に達してしまう、困ったな」と意識させることは、年金制度への信認という点でたいへんもったいないという気がします。
それから、リモートワークで海外の企業で働くことも結構身近なこととなっています。特に日本の企業ではIT人材の確保が遅れている中、外国人材が日本に来て働くのは難しいけれども、リモートワークであれば、いままでより日本の企業で働くことが容易になるかもしれません。また、日本人でも、生活費が安い国々に住みながら、リモートワークにより日本企業で働きやすくなるのではないでしょうか。そうした場合、公的年金保険制度は一国経済および社会保障制度の枠外にある労働を増やし得る「空洞化」という下部構造の変化に対して、上部構造である公的年金保険制度が適合していくにはどうしたらいいのか考えていかなければならないでしょう。
――これまでの一国資本主義経済に基づく現行の社会保障協定の枠組みを超えるグローバルな資本主義経済に適合した新たな社会保障協定の在り方を考えていかなければならないのか、それとも、国家という枠組みをはずした経済体制たとえば欧州連合(EU)のような経済体制において適合した社会保障制度の在り方を追求していくのか、ここまで議論を広げてしまうと、それは日本の国の年金制度改正の話ではすまなくなってしまいますね。
財政検証結果のスプレッドも経済の在り方の変化の中でどう捉えるかが重要
――日本の年金制度改正に話を戻しまして、経済や労働の在り方の変化に適合した年金制度の在り方を考える場合、その道標が財政検証結果ですが、なかでも実質的な運用利回り(スプレッド)が重要だとされていますが。
厚生労働省のホームページ「いっしょに検証!公的年金」に示されているように、公的年金の年金額は、長期的に見ると、賃金水準が上がるにつれて増えていき、保険料収入も賃金に一定の保険料率を掛けて計算するため、賃金水準の上昇とともに増加します。そうであることから、公的年金の財政にとっては、積立金の運用利回りが賃金上昇率を上回る分、すなわち「実質的な利回り」が重要です。賃金上昇率を上回る度合いを(賃金に対する)「スプレッド」と言います。この実質的な運用利回り(対賃金のスプレッド)の実績と財政検証での前提とを比較して、積立金運用の年金財政への影響を評価することになります。2019(令和元)年の財政検証では、各ケースのスプレッドが0.4%~1.7%と設定されており、これを実現できるかどうかが重要になりました。実際の過去の運用結果を見ると、スプレッドは2001(平成13)年度から2021(令和3)年度までの平均で3.78%となり、前回財政検証の前提を上回る好成績を収めています。
しかし、これは賃金上昇率がほぼゼロのときのスプレッドです。長い目で見ると、賃金が伸びるときもあれば伸びないときもあるわけですから、これから賃金上昇率が高まっていけば、対賃金スプレッドが1.7%に届かない局面に入っていくかもしれません。過去において1.7%を超えていたのは、それはそれで結構なことですが、だからといって今後も同じように超え続けなければいけないということはないです。仮に1.7%に届かず、1.3%であったり1.5%であったりする期間があっても、長期的にクリアすればいいのですから、そんなにバタバタする必要はありません。ここで言う長期というのは、30年、40年という非常に長いサイクルです。このような長いサイクルは、個々の人間はせいぜい1回半くらいしか社会人として経験できません。3年や5年くらいのサイクルであれば、何回も経験した人はいっぱいいるので、平均的な数値のめどあるいは相場観は描きやすいのですが、このような長いサイクルだと、そのサイクルのどのあたりにいるのかを過去の経験からわかるなどということはあり得ません。
ということは、その時点での人々の実感とは全然合わない数字を長期的な水準として出さざるを得ないときが必ずあるということです。これはもうどうにもならないわけで、そこはなんとか長期という言葉の意味を何度でも説明するしかないです。最近、インフレは、4%などという平成以降の感覚からはびっくりするくらいの値が現実になっています。今後、賃金がここ数十年とは違う速度で上がり始めたときに、世の中がどう変わってくるかは想像もできません。あわててもしょうがありません。しょうがないから、5年という結構短いサイクルで財政検証を行い、年金制度を見直しているのです。それがあるべき対応であって、超長期の数字がいまを生きる人の(短期的な)実感に合わないからと、経済前提や財政検証結果がなんとなくおかしいといくら言ったところで、何の意味もありません。言えば言うだけ、かえって人々を不安にして、世の中にとってマイナスになるのではないかと思います。
だから、このたび年金部会に設置された「年金財政における経済前提に関する専門委員会」においても、国民にお示しできることは精いっぱいお示ししつつ、5年ごとに新しい事実を織り込んで検証していく、という財政検証の手法をあらためてご理解いただけるよう説明していくしかありません。
このたびの経済前提や財政検証において議論することと言えば、5年のインターバルの意味や長期ということのほか、物価や賃金の動きがもしかするとひとつの境目を超えたところに来ているのかもしれないことがあります。そして、ベビーブーマーが労働市場からほぼいなくなり、ほんとうに人手不足になってきました。また、物価が上がるということについても、賃金が上がるということについても、いま30代や40代の人たちは何千万人という規模で、これまで全然経験していない新しいことを経験しようとしています。自分が買うものの価格や自分の賃金が上がるだけでなく、企業での仕事においても、コストが上がっても製品価格は据え置きという前提でしか考えられなかったのに対して、値上げが選択肢になる、値上げの稟議が社内で通る、という経験をするようになりました。こうした経験を次々にしていけば、企業行動や人々の考え方は変わります。
経済活動がそうなっていくことが、まさに下部構造の変化ですから、年金制度についても、自分の身の回りで起きていることと、フィット感のある制度であることが求められるようになります。若い世代は、先輩たちはみんな60過ぎても働いているし、役職定年はきても優秀な人材はみんなに頼りにしてされている、という事実を毎日体感しています。そんなときに、日ごろ頼りにしている先輩が「高在老で年金カットされちゃったよ」なんて言っているとしたら、「なんですか、それ!」って思うわけです。そういったことが制度への不信感や信認の低下につながってしまったらいけません。持続可能な制度でなくなってしまいかねませんから、そうならないようにしなければならないということですね。
――きょうは、長い時間、インタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました。