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「福祉元年」から50年(中村秀一)

霞が関と現場の間で

1973年の給付の大幅改善

2023年を迎えた。戦後の社会保障を語る際、幾つかの節目があるが、福祉元年と言われた1973年は間違いなくその一つだ。今年はその50周年である。

国民皆保険、皆年金の達成後、政府の所得倍増計画が進む中で、社会保障の最大課題は、給付の改善であった。当時、健保の家族と国保の給付率は5割であったし、年金は当初統計上独立しておらず、存在感が薄かった。

1973年に入って、まず、老人医療費(患者自己負担)が無料化された。健保の家族給付率が7割に引き上げられ、高額療養費制度も創設された。厚生年金は「5万円年金」(現役賃金の6割)となり、物価スライド・賃金スライドが導入された。この年の秋に第一次石油危機が襲ったので、給付改善は直前の滑り込みだった。

直後の急激な物価・賃金の上昇にスライドして年金額が引き上げられ、国民は初めて「頼れる年金」を実感することになった。

1970年に3.5兆円(対GDP比4.7%)であった社会保障給付費は80年には24.9兆円(同10.0%)へと急膨張し、80年代前半の第2臨調による行政改革では社会保障はその主要なターゲットとなった。老人医療費の無料化の廃止(老人保健法の制定)、健保本人の1割負担、基礎年金制度の創設、病床規制制度の導入(医療法改正)等である。

転機としての90年代

90年の社会保障給付費は47.4兆円と10年間でほぼ倍増したものの対GDP比は10.5%とほぼ横ばいであり、80年代は経済の伸びと社会保障の伸びがほぼ一致していた幸福な時期であった。

次の転機は、1997年秋の金融危機だ。世帯の所得や賃金は、この時期をピークとして未だ回復していない。この年の12月に介護保険法が成立したことは、今となってはほとんど奇跡のようにさえ思われる。

2020年の社会保障費は、132.2兆円と、この30年で2.8倍となった。経済が低迷しているため、その対GDP比も上昇し24.7%と2.4倍となっている。

次の50年に向けて

筆者はこの1973年に厚生省に入省した。給付が改善された社会保障とともに歩んできた。この間の急速な高齢化と、後半の時期は経済が長期的に低迷する中にあって、制度の持続可能性の維持に追われてきた半世紀だった。入省して間もない頃、1950年代入省の先輩から「君たちは削る一方の仕事をすることになり、気の毒だな」と言われたことを幾度反芻したことだろう。

2023年の年初に当たり、社会保障の次の50年に向けて実りある年となることを切に願いたい。

(本コラムは、社会保険旬報2023年1月1日号に掲載されました)


中村秀一(なかむら・しゅういち) 医療介護福祉政策研究フォーラム理事長 国際医療福祉大学大学院教授 1973年、厚生省(当時)入省。老人福祉課長、年金課長、保険局企画課長、大臣官房政策課長、厚生労働省大臣官房審議官(医療保険、医政担当)、老健局長、社会・援護局長を経て、2008年から2010年まで社会保険診療報酬支払基金理事長。2010年10月から2014年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長として「社会保障と税の一体改革」の事務局を務める。この間、1981年から84年まで在スウェーデン日本国大使館、1987年から89年まで北海道庁に勤務。著書は『平成の社会保障』(社会保険出版社)など。

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