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謎の新興国アゼルバイジャンから|#42 解題『ちょっと気になる政策思想』(中)右側の経済学と左側の経済学 

香取 照幸(かとり てるゆき)/アゼルバイジャン共和国日本国特命全権大使(原稿執筆当時)

*この記事は2019年2月12日に「Web年金時代」に掲載されました。

本稿は外務省とも在アゼルバイジャン日本国大使館とも一切関係がありません。全て筆者個人の意見を筆者個人の責任で書いているものです。内容についてのご意見・照会等は全て編集部経由で筆者個人にお寄せ下さい。どうぞよろしくお願いします。

右側の経済学と左側の経済学

さて、以上を頭に置いて、本書の「白眉」でもある、右側の経済学と左側の経済学について見ていきましょう。

著者は、アダム・スミス以来の経済学の系譜を改めて紐解き、経済学を「右側の経済学」と「左側の経済学」に区分しています。この両者を区分する一番のメルクマールは、「市場の機能に関する認識」が全く異なっていることだ、と著者は説きます。
要すれば、経済規模を規定する主因を何と考えるか、経済活動における供給に着目する経済学と需要に焦点を当てる経済学、ということです。
そして、この2つの経済学は、根底にある市場観・政治思想も異なれば、想定されている個人モデルも異なっています。

社会保障と関わる経済学の系譜

この区分は、決して著者の独断と偏見によるものではありません。
著者は、アダム・スミスに始まり、マルサス、セイ、リカード、ケインズ、ミュルダール、ヒックス、ガルブレイズ、フリードマン、クルーグマンなど、経済学の系譜に登場する数多くの錚々たる経済学者の著書や私信などの「原典」に丹念に当たり、彼らがいつ何を考え、何を主張し、その主張がどのように変遷し、相互に影響を与え合ったかを、実に丁寧に、それこそ「実証的」「客観的」に示し、体系化しています。

「勿凝学問(学問に凝る勿れ)」というのが著者のブログのタイトルだそうですが、著者の経済学に対する幅広い博識と深い洞察力、記述の徹底ぶりには感嘆するほかはありません。
これ自体が「経済学史」として一級の研究成果と言うべきです。

両者は、出発点の違いだけではなく―出発点が違うが故に、と言ってもいいかもしれません―そこからそれぞれに帰結される「学の体系」も大きく異なっています。

右側の経済学は、基本的に「見えざる手」を前提に、市場を通じた「私的利益と公共善の予定調和」という思想に立脚しています。従って、将来起こること(その確率分布)はある程度既知であると考えます。これを「リスク」と呼び、リスクを想定することによって将来予測は可能と考えます(エルゴード性の定理)。
この考え方からは、貨幣ヴェール説が導かれ、金融政策に関して言えば「現在の株価は将来に対するあらゆる情報を織り込んだ上で成立している=効率市場仮説」との親和性が導かれます。
(なるほど、右側の経済学者が株価を重視するのはそういうわけだったのか(笑))
市場への信頼を基礎に置く右側の経済学の考え方からすれば、政府の役割は基本的に否定的ないしは限定的ということになります。再分配政策や社会保障の役割に対する考え方も同様に否定的ないし限定的です。

他方、左側の経済学は、「合成の誤謬」という考え方に立ちます。個々の経済主体の合理的行動が全体の不都合を生む、即ち、「私的利益と公共善の予定調和」は成り立たない、と考えます。
合成の誤謬が存在する世界では未来のことは分からない。つまり「不確実性」ということを前提に考えます。ここから、流動性選好(未来のことは分からないから何にでも変えられる貨幣への需要が生じる)という概念が生じます。即ち、貨幣は単なる「交換手段」ではなく、それ自体に価値があるものとしての需要が生まれる、という考え方が導かれるわけです(なので左側の経済学では「貨幣数量説」は否定されます)。
この考え方からすれば、合成の誤謬を補正ないし補完するために政府が一定の役割を果たすことは容認ないし評価されることになり、「どのような役割をどの程度政府が果たすことが望ましいのか」を経済学として論じる、ということになります。
同様に、再分配政策や社会保障はその理論体系・政策思想の一部を成すものとして肯定的に位置付けられることになります。

時代時代の経済政策は、この右側の経済学と左側の経済学の間で揺れ動いてきました。右側の経済学、古典派経済学の時代が長く続きましたが、戦間期、世界恐慌に直面してケインズが登場し、経済政策が大きく左側に振れます。戦後、先進国は「福祉国家」の実現を目指し、社会保障制度をはじめとする「政府の役割」が大きくなりますが、70年代に入り、新古典派・シカゴ学派の登場で再び右側に振れ、新自由主義・規制緩和が世界を席巻します。しかしリーマンショックで経済学(右側の経済学)への信頼は大きく揺らぎ、現代にいたります。
この辺の経過も、著者は丁寧に事実に即して記述していきます。

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