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コロナの夏の厚労省人事(中村秀一)

霞が関と現場の間で

コロナ対応の渦中で

今年の通常国会は会期の延長がなく、6月17日に閉幕した。国会の終了とともに霞が関の各省では幹部の人事異動の季節となる。緊急事態宣言は解除されたものの感染者数の増加が続き、新型コロナウイルス感染症対策に追われる状況で厚生労働省の幹部の布陣はどうなるかと注目していた。

各省庁の中では遅い8月7日付けで厚生労働省の人事異動が行われた。鈴木俊彦事務次官が留任し異例の3年目に入る一方、医系技官のトップである鈴木康裕医務技監が退任。後任に国立保健医療科学院の福島靖正院長が充てられた。

鈴木氏は初代の医務技監として在任期間が3年を経過しており、退任して不思議ではないが、コロナ対策のキーマンがこの時期に交替して大丈夫だろうか。現に、加藤厚生労働大臣に対し記者から「官邸側との軋轢も噂されると指摘する声もありましたけれども、そういった点も考慮された結果の人事なのかどうか」との質問が出た。

これに対し「新型コロナウイルス感染症との対応の最中でありますから、それを踏まえた人事異動」であり、「今の段階で医務技監は交代し、事務次官は引き続き留任」というのが大臣答弁であった。

内閣官房への人材の投入

内閣官房の新型コロナウイルス感染症対策本部事務局の強化も今回の人事の特徴だ。吉田学医政局長が事務局次長として出向、同じく国立国際医療研究センターの井上肇・企画戦略局長が次長として出向した。井上氏はWHO事務局長補を務めたこともある国際派の医系技官である。

後任の医政局長には医系技官の迫井正深審議官が昇任、健康局長は宮嵜雅則局長から正林督章局長に交代した。医系技官の人事は大幅なものとなったが、事務官の人事は鈴木次官が留任したこともあり小幅であった。大島一博老健局長と土生栄二官房長との入れ替え人事は苦肉の策のように思える。来年4月の介護報酬改定を目前にしての交代は大島局長としては心残りのことではなかろうか。

「振興課」が消えて

人事異動の発表を見ていて、老健局振興課が認知症施策・地域介護推進課と名称が変更されたことに気がついた。筆者が厚生省大臣官房老人保健福祉部の老人福祉課長であった91年夏に、老人福祉課を分割し老人福祉計画課と振興課の2課体制とし、初代の老人福祉計画課長となった。この組織改正が功を奏し、翌年に老人保健福祉部は局に昇格することができたのである(局にするためにはそれなりの課の数が必要なのだ)。振興課という名称がなくなるので当時の経緯を参考までに記しておく。

1月遅れの次官人事(追記)

本稿は9月1日号の社会保険旬報に掲載されたが、加藤厚生労働大臣は9月4日に行われた記者会見で、9月14日付けで鈴木俊彦事務次官の退任とその後任として樽見英樹・内閣官房審議官兼新型コロナウイルス感染症対策推進室長の登用を発表した。

大臣は記者からの質問に対し、厚生労働省人事について「全体の体制を新たにする中であらかた予定していたところですが、感染の状況を踏まえて、少し次官の人事は後送りにするということで、当初から想定しておりました」と説明している。

8月28日に新型コロナウイルス感染症対策本部において今後の取り組みが決定されるなど対策が一段落しており、大臣は8月7日の幹部の異動以降「ここまで約1ヶ月が経つ中でそれぞれが着実に任務に動いていただいて、役所全体は動き出している、そういう判断からこのタイミングで次官の異動」となったと述べている。

なお、樽見氏の後任の新型コロナウイルス感染症対策推進室長には前医政局長の吉田学次長が就任する。

現在、安倍総理の辞任と後継総裁(=次期首相)の選任が進められている。厚生労働省の新体制は新内閣の下で政策を遂行して行くこととなる。

(本コラムは、社会保険旬報2020年9月1日号に掲載されました)


中村秀一(なかむら・しゅういち)
医療介護福祉政策研究フォーラム理事長
国際医療福祉大学大学院教授
1973年、厚生省(当時)入省。 老人福祉課長、年金課長、保険局企画課長、大臣官房政策課長、厚生労働省大臣官房審議官(医療保険、医政担当)、老健局長、社会・援護局長を経て、2008年から2010年まで社会保険診療報酬支払基金理事長。2010年10月から2014年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長として「社会保障と税の一体改革」の事務局を務める。この間、1981年から84年まで在スウェーデン日本国大使館、1987年から89年まで北海道庁に勤務。著書は『平成の社会保障』(社会保険出版社)など。

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