謎の新興国アゼルバイジャンから|#21 コーカサスの地で見る日本美術への関心
アゼルバイジャン国立美術館で日本美術展を開催中
みなさんこんにちは。
前回、前々回と重たいテーマを題材にしましたので、今回は軽め(笑)の話題でいきたいと思います。みなさんお気軽に読み進めて下さい。
2月下旬から3月上旬にかけて、バクーは天候不順で風雨の強い日々が続いたそうです。ちょうどこの期間、日本(外務本省)で欧州大使会議が開催されており、私は公務帰国中で不在でしたが、連日ちょっとした台風並みの風雨だったそうです。
地元の人に聞くと、「この天気は冬が明けて春が来るっていうしるしなんだよ」と教えてくれました。日本でも「春の嵐―春一番」というのがありますが、ちょうどそれに相当するのがこの天気ということのようです。確かに公務出張から帰ってバクー空港に降り立って、わずかの間に風が随分暖かくなったなあ、と感じました。
さて、3月5日から3ヵ月間の予定で、日本大使館が後援して、ここバクーにある国立美術館で「日本美術展」が開催されています。
この美術展、元々は昨年夏に同美術館で「フランス美術展」が開催され、その閉会式に招かれて美術館を訪問した際に美術館長から「次は日本美術展をやりたいので是非協力してほしい」と相談されたのがことの始まりでした。
以前にこの連載でお話ししたように昨年は国交樹立25周年でしたので、その記念行事の一環として開催できれば大使館にとってもありがたい話なので、昨年中に開催すべく美術館側と協力しながら準備を進めてきました。
諸般の事情で調整が遅れて年明けになってしまいましたが、開会式当日は、ショートノーティスのレセプションだったにもかかわらず、文化観光大臣や芸術アカデミーの会長、バクー国立大学学長なども参加し、アメリカ、フランス、スイス、オランダ、ラトビア、リトアニア、モルドヴァ、インド、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、キューバ、UNHCRなど10ヵ国以上の大使も駆けつけてくれて、盛大なセレモニーとなりました。
バクーにあって絶妙な立ち位置にある日本大使
余談ですが、バクーの外交団の結束は非常に固く、大使仲間の交流は非常に濃密です。様々な事情で任国政府からの情報収集がなかなか難しいお国柄ということもあり、大使館相互、大使相互の連携・情報交換は非常に活発というかお互いみんな積極的で、私の実感でも大使としての活動の半分以上は外交団(大使たち)とのおつきあいです。
総じて仲のいい外交団ですが、緩やかではありますが、日常的な外交活動の中で自然といくつかのまとまり、グループができています。一つは欧州(EU)・米国・国際機関を中心としたグループ、もう一つはムスリム諸国を中心とした東南アジア・中央アジア・中東諸国のグループ、そして旧CIS諸国・バルカン諸国のグループです。
グループといっても、もちろん派閥のようなものではありません。大使同士の横の連携はとても風通しがよく、他にもゴルフ仲間のグループ、テニス仲間のグループなどプライベートな活動も盛んで、クロスオーバーはいくらでもあります。
そんな中で日本大使の立ち位置はとても絶妙なもので、「自由と民主主義」の欧州・米国グループの一員でもあり、もちろんアジアグループの主要メンバーでもあり、そして大国ロシアの「隣国仲間」として旧CIS諸国のグループからも大事にされています。イスラエル大使ともパレスチナ大使とも仲がいいですし、ムスリムの大使はイスラム世界の話をよく教えてくれますし、中央アジアやバルカンの大使は任国事情のみならず中国やロシアについてのいろいろな「秘話」を披露してくれますし、国際機関の大使(代表)たちはまた違った視点からの地域情勢の話を聞かせてくれます。
当然ながらそれぞれのグループで問題、関心の範囲も違いますし、同じ出来事でも見方や分析の方向も異なります。エネルギー、安全保障、人権問題、ロシア、中国、イラン、国内情勢や地域情勢などなど、彼らと様々な場面(公の場、私的な場、公邸での会食、レセプション、イベント、国際会議などなど)で交わす情報のやりとり、ちょっとした会話、世間話、噂話も含め、彼らから得られる情報は極めて貴重で、それぞれの国・グループ間での「温度差」を測るだけでもそれぞれの国が置かれた立ち位置や地域情勢の俯瞰図が見えてきて、実にいろいろなことがわかってきます。
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