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謎の新興国アゼルバイジャンから|#57  行動経済学と医療(上)

香取 照幸(かとり てるゆき)/アゼルバイジャン共和国日本国特命全権大使(原稿執筆当時)

*この記事は2019年12月6日に「Web年金時代」に掲載されました。

本稿は外務省とも在アゼルバイジャン日本国大使館とも一切関係がありません。全て筆者個人の意見を筆者個人の責任で書いているものです。内容についてのご意見・照会等は全て編集部経由で筆者個人にお寄せ下さい。どうぞよろしくお願いします。

みなさんこんにちは。
今回の枕は「近代石油産業発祥の地」バクーのお話です。

石油=燃える水は、古来世界のあちこちで発見されていました。
日本でも、日本書紀の中に、天智天皇即位7年(668年)の秋、越の国(現在の新潟県)から「燃える水、燃える土」が大津宮に献上された、という記載があります。この「燃える水」とはもちろん石油のことです。

ここアゼルバイジャン(より正確に言えば現在首都バクーがあるアブシェロン半島地域)でも古くから石油の存在は知られていて、露天で吹き出す石油や天然ガスが燃えている様を記した記録が残っているそうです。コーカサスは火を崇める宗教であるゾロアスター教発祥の地とも言われ、自然に吹き出す「燃える水」「燃える空気」による常世の火があちこちにあったのかもしれません。

産業革命を経て、エネルギー源としての石油が注目され、近代石油産業が生まれます。近代石油産業はここバクーとアメリカのペンシルバニアが発祥の地とされていますが、1846年、アメリカに先んずること約10年、世界で最初の産業としての石油採掘井戸が作られたのがここバクーです。

バクー郊外、ビビヘイバットという地域に、世界最初の産業油井が保存されています。

ご覧のように、最初の油井は木製でした。

以前この連載でも少しお話ししましたが、記録によれば、20世紀初頭、バクーの陸上油田は世界の石油生産量の半分を産出していました。
当初、バクー陸上油田の原油は樽に入れられ、ロバの背に振り分け荷物のように乗せてコーカサス山脈沿いに陸路で黒海まで運ばれ、そこで船積みされていました。
現在でも原油の産出単位になっている「バレル( barrel)」はこのことに由来しているそうです。

ロシア革命(ボルシェヴィキ革命)の後、1918年にいったん独立を果たしたアゼルバイジャンですが、わずか1年半後にソヴィエト連邦に編入され、その構成共和国になります。バクーの油田は国有化され、モスクワの管理下に入ります。

バクー油田が「大祖国戦争」と呼ばれた旧ソ連の第二次世界大戦の戦費の大半をまかなったことはつとに知られています。
独ソ戦開始後、ナチスドイツ軍は首都モスクワではなく、バクー油田を目指して進撃しました。
ヘイダルアリエフ財団(理事長は現大統領夫人であるメフリヴァン・アリエヴァ第一副大統領)が2015年に制作した「Objective Baku –Hitler’s War on Oil」という記録映画があります。この記録映画の中では、ナチスドイツがバクーを目指して進撃する経緯が克明に記録されています。
この映画はFree downloadでYouTubeにアップされていますので、興味のある方は是非ご覧ください。実は(太平洋での戦争もそうだったのですが)第二次世界大戦を経済的視点から見ると「石油を巡る戦争」という側面があったことがよくわかります。面白いですよ。

さて、ここからが今日の本題です。

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