【玉置妙憂:超高齢多死時代のケアを考える#2】「終末期難民」の時代
ご機嫌いかがですか。いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
今年も、なんと、もう年の瀬!慌ただしさに目が回りそうです。
なかなかお休みも取れないことと思いますが、どうぞご自愛くださいね。
さて、今日は、『終末期難民』というお話をいたしましょう。
時は流れ、『がん難民』から『終末期難民』の時代へ
たしか2000年頃だったと記憶していますが『がん難民』という言葉をあちこちでしきりと見聞きするようになりました。
個人的にはあまり好きな表現ではありませんでしたが、治療ができなくなったがん患者さんなどが行き場をなくしてしまうという状況を指摘した言葉でした 。
あれから二十数年。
時は流れて、今、現場は『終末期難民』の時代に突入しているというお話です。
「人間到る処青山あり」とは、今は昔。
死に場所を求めて放浪しなければならない時代になりました。
人間そんなに簡単には、死ねないのです。
先達て、そのことを実感するお看取りをいたしました。
アルコール依存症だったKさんのケース
その方は、Kさんという60代前半の男性でした。
長年アルコール依存症の治療を受けながらも、独りで暮らしておられました。
過剰な飲酒が原因で身体はすでに相応なダメージを受けていました。
肝機能は正常の半分、黄疸と腹水貯留という壊れた体をなんとか騙し騙し使っているような状況です。
そんなKさんの生活を支えていたのが精神科のデイケア施設でした。
そこに毎日通うことで、生活のリズムと身体の調子がなんとか保たれていたのです。
それなのに、そのデイケアで人間関係の問題を起こしまして、出禁になってしまったのです 。
関わる目が無くなることは極めて危険と判断したデイケアの看護師さんから依頼を受けて、私が訪問スピリチュアルケアとして定期的に関わらせていただくようになりました。
ADLは完全に自立しておられました(だから晩酌だってできてしまっていましたけれど…)から、月に1回の定期受診に同行し、ときどきご機嫌うかがいのお電話をさしあげるくらいで十分でした。
ところが、ある日、Kさんは突如の高熱と意識レベルの低下を起こし、かかりつけの病院へ救急搬送となりました。
あらゆることが考えられ過ぎて原因は特定できませんでしたが、敗血症を起こしていたのです。
容態は相当悪く、もともと持っていた肝不全もあいまって、救命救急の医師から「たすけられるかどうかわからない」と言われたほどでした。
その後、約1か月に及ぶ加療の効あり回復。
ダメージを受けてたくあんのように黄色くなってはいるものの、意識レベルもADLも8割がた元に戻りました。
しかし、医師からは「いつ死んでもおかしくない状態だ」と厳しい余命宣告。
一方で、救急病院でできることは終わったと、退院をするように言われたのです。
命は助かった、そのあとのこと
天涯孤独のひとり暮らしですから、このままではどうにもなりません。
一般病院に入院させてもらおうと数件当たりましたが、どの病院からも「まずは依存症を治してきてください」と言われました。
それでは依存症を治療する病院に入院させてもらおうと、これまた数件に当たりましたが「内臓疾患を治してからじゃないと受け入れられません」。
こうなったら看取りの病院に入院させてはもらえまいか「う~ん、うちの対象ではありません」。
認知症がないからグループホームもダメ。年齢とADL完全自立で介護施設もダメ。
日本の医療介護福祉のシステムは優秀だと思っています。でもKさんは、その張り巡らされている網の目をことごとくすり抜けてしまい、どこにも引っかかりません。
挙句の果てには、住んでいるアパートの大家さんも「事故物件なんてことになっては困る」としかめ面です。
まさに四面楚歌。
これを『終末期難民』と言わずしてなんと言いましょう。
結局、毎日様子を見に行くということで大家さんに納得していただき、もともと住んでいたアパートにもどり、在宅での療養生活が再スタートしました。
しかし、ADLが自立しており、特定疾患も持っていない60代前半は、「介護保険対象外」です 。
なんとか、週に1回の訪問診療と訪問看護が確保できたものの、それだけでKさんの生活の質が保たれるとは到底思えません。
既存の公的サービスは灰色には手を出してくれない
世の中、どんなことでもそうかもしれませんが、白(自分できちんとなんでもできる)か黒(自分では何もできない)かがはっきりしていればサポートもしやすいけれど、灰色(自分でなんとかやれちゃうけどできていない)状態が一番厄介です。
既存の公的サービスは灰色には手を出してくれません。
はたから見ている者からすれば、手を出しにくいのですよね。
在宅療養開始時のKさんが、がまさに灰色でした。
でも、時間の経過とともに身体状況は刻々と変化します。
足元が不如意になり階段の昇り降りを要する外出ができなくなり、室内のトイレ移動もままならなくなるまで、ふた月もありませんでした。
そうなってようやく、周囲の適切なサポートもあり、なんとか介護保険のサービスを利用できるようになりました。
ところが、Kさん、いい子じゃなかったんですよ。暴言を吐くのです。
「うるせえ!」「さわるな!」「出てけ!」
これが介護拒否とみなされて、ヘルパーさんは帰ってしまいます。
1日24時間中、やっと手に入れた30分の介護時間なのに!です。
「オムツも替えずに帰ってしまうなんて有り得ない!」とケアマネさんに直談判したところ、「今は、ヘルパーの人権も守らなければならない時代です」と逆に諭されました。
たしかに。ケアギバー側の人権も護られなくてはなりません。
結局、Kさんに態度の改善をお願いし、ヘルパーさんには事情を説明して頑張っていただきました。
それでも、人の手が入るのは24時間の内たったの30分です。
訪問診療、訪問看護を合わせ、毎日公的サービスが入るようにはセッティングできましたが、いずれにしても24時間の内たったの30分。
それではどうにも生活が回りません。
そこで、私が主催する大慈学苑でスピリチュアルケアについて学んでくださった方々にお声がけし、チームをつくって、残りの23時間30分を、サポートすることになりました。
それは、Kさんを天にお見送りするまでの約100日間続きました。
こう申しますと慈愛に満ちた美しい物語をご想像なさるかもしれませんが、私たちが目の当たりにしたのは、決して「情」だけでは乗り切ることのできない現実と、そして「情」なくして乗り越えることのできない現実でした 。
これがまさに『終末期難民』の実態なのです。
自分は大丈夫か……
さて、Kさんが、特別レアなケースだとお思いでしょうか。自分は大丈夫だと?
決して脅かすわけではありませんが、安心していて大丈夫でしょうか。
老々介護は、いつの日か片割れが欠け、独居になります。子どもがいても、遠方に住んでいたり、「迷惑かけたくない」と思っていたりで、介護のマンパワーになり得ないのでは?
だからこそ健康に気を付けていらっしゃるので、入院するほどのご病気はない。一通りのことはご自分でおやりになるでしょう?
ほら、そうやって気を付けていらっしゃればいらっしゃるほど、今回のケースと似たような状況になっていくのです。
その状態もまた、白(自分できちんとなんでもできる)と黒(自分では何もできない)との狭間である、灰色(自分でなんとかやれちゃうけどできていない)への入り口です。
ダムが決壊してしまう前に
ダムは弱いところから決壊していきます。
終末期を支えるための社会的仕組みをダムにたとえると、Kさんのようなケースが、まさにその「弱いところ」だったと言えるでしょう。
もうすでに、水は漏れ始めているのです。
この状況は、1年間の死亡者数が166万人以上に上ると予測される2040年、超高齢多死時代に向けて加速していきます。
ですが、ぎりぎりまできちんと自分の力で頑張ってきた方が、最後に憂き目を見るような状況は決してあってはなりません。
ダムが完全に決壊してしまう前に、なんとかしなければという思いでいっぱいです。
あ~あ。やっぱり、行政や福祉のサービスの隙間を埋める、『大慈の家』をつくりたいなあ 。(『大慈の家』の構想については、今後の連載の中で詳しくお話しさせていただきます。)
いや、「つくりたいなあ」じゃなくて、つくらねば。
人生の荒波を四苦八苦しながら乗り越えてきた方が、最期くらいは何も心配せずに(もちろんお金の心配もせずに、です。)静かにゆっくり過ごしたいと望んでも、けっして罰は当たらないでしょう。
そうできる場所がすぐにでも必要です。