数理の目レトロスペクティブ|#4 世代間の公平性という議論
平成16年改正のときの論点のひとつに「世代間の公平性」があった。少子高齢化の進展のもと、給付水準が抑制され保険料が引き上げられていく中で、現在の若齢世代は支払った保険料に見合う給付を受け取れないかもしれない、という素朴な感情が、この議論を引き起こしたと考えられる。現在〈2007年〉の厚生年金の保険料率は15%弱であるが、2017年からは18.3%になる。一方で給付水準は徐々に削減され、現在〈2007年〉よりは2割弱低くなる見通しであることから、支払った保険料に見合う給付を受け取れず、高齢世代に比べ不公平ではないかという印象が出てくるのであろう。
この議論の難しい点は、議論の前提が社会保険制度の趣旨と相容れないものであることと、異なる時点の金額の比較が本当にできるのかという問いに答えがないことにある。前者については、老齢、障害、遺族という人生における経済リスクにより困窮化することを防ぐのに、貯蓄や私保険で解決できなかったので社会保険が生まれてきたという歴史的経緯が忘れられている。社会全体で強制的に所得の一部を経済リスクに遭遇した人に移転することで、困窮化を防止できたのである。貯蓄が実現できなかったことを可能にした制度を、貯蓄の物差しで測ろうとするから話が歪むのである。
後者については、たとえば今年〈2007年〉65歳になる人が入社した1960年代の保険料負担が、現在〈2007年当時〉に比べて軽かったのかどうかということを考えてみたい。確かに保険料率自体は現在〈2007年〉の方がずっと高い。金額としての負担は小さかったと言えるかも知れない。しかしだからといって当時〈1960年代〉の方が生活に余裕があったのかというと、恐らくそうではないであろう。むしろ今〈2007年〉の現役の方が物質的には余裕があるのであろう。これからについても、もし革新的なイノベーションがあり大きく経済成長を遂げた場合、一人当たりの所得は向上し、少子高齢化のために例えば20%を超える保険料を負担することになっても現在<2007年>の我々より生活に余裕があるという事態も想定し得る。世代間の公平性をどのような物差しで測るかにより、その結果は異なってくる。
この例のように、可処分所得の大きさで測ろうとすると、平準的な保険料率は必ずしも世代間の負担の公平性をもたらすものとはならないのである。
社会保険制度は、人生における経済リスクに遭遇した人にその時々に生産された財・サービスの一部を分配するルールである。その時々にこれらの人々が困窮化しないように給付を行う仕組みである。その仕組みが行う異時点間の給付と負担を足し合わせてその比率が世代を通して等しくなるように求めるという議論自体、「世代間の公平」という言葉が志向しているものの一断面を表しているに過ぎない。世代間の公平性には様々な要素があり、それらを表す様々な指標を考慮することにより、一面的でない世代間の公平性が実現できるのではないだろうか。
*〈〉内は編集部が加筆。
[初出『月刊 年金時代』2007年9月号]
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