【玉置妙憂:超高齢多死時代のケアを考える#1】連載スタートにあたって――看護師と僧侶の二足の草鞋
はじめまして。玉置妙憂と申します。
かれこれ30年近く看護師をしております。そして、10年前からは、高野山真言宗の僧侶でもあります。
この連載では、「超高齢多死時代のケアを考える」と題してお話ししていきたいと思いますが、今回は導入がてらに、自己紹介をさせていただきたいと思います。
看護学校時代、そして国家試験
私が看護師になったのは、30歳を過ぎてからです。まったく違う分野の大学を卒業し、就職をして、結婚をして、出産をしました。
産まれた子が重度のアレルギー体質で、育てるのに戸惑うことが多かったものですから、彼を無事成人させるために「知識が欲しい」「スキルが欲しい」と思い、看護の道に入りました。
今でこそ、一度社会に出てから、あらためて看護師になる勉強をはじめる人は少なくありませんが、30年前は、そう多くはありませんでした。
国立の看護学校で、同期生は100人くらいでしたでしょうか。そのうち、私のようなとうのたった学生は、5・6人くらいなものでした。受験の時の面接で、「あなたの同級生は若い人たちばかりだけど、うまくやっていける?」と聞かれたのを覚えています。
ご心配には及ばず、こちらはまったく不都合を感じることなく楽しくやらせていただきました。むしろ、先生方や同期生のほうが、気を遣ってくださっていたのかもしれません。ありがたいことです。
3年間の勉強は、過ぎてみれば、あっという間でした。国家試験も、コツさえつかめばなんてことありません。やみくもにお勧めするのもなんですが、もし「今からでも看護師になれるだろうか……」と迷っていらっしゃるなら、挑戦してみたらいかがでしょう。ライセンスを取るのは、さほど難しくないと思います。資格取得の年齢制限もありません。就職先が見つからないということもまずないですから、おススメです。
新卒の配属は循環器外科
さて、そんなこんなでスタートした看護師人生ですが、ポンコツでしたね~。
お勉強ができるのと、現場で役に立つかどうかは、まったく別問題でした。なまじ、新卒で循環器外科なんぞに配属されてしまったものですから、もう天手古舞。分からないこと、勉強しなければならないことも、次から次へと出てきます。
勤務中は複数のタスクを同時進行しなければなりませんが、時間内では終わらない。でも、家にはかわいいわが子が待っていて、一分一秒でも早く帰ってご飯をつくってあげたい。そんな板挟みの状況下。
今思えば、過重積載だったのでしょう。自分のキャパシティーを大きく越えるものを抱え、イライラ、カリカリと、余裕のない毎日を送っていました。
そんな生活の中で、ポンコツゆえに考えることもありました。
とりあえず年季が入っていますからね。患者さんの心の機微というのでしょうか、それを感じてしまうのです。
こんな大病をして人生設計が狂ってしまっただろうなとか、病気以外のことも話したいのだろうなとか、機嫌が悪いのは怒っているからではなくて怖いからだなとか。
ゆっくりとベットサイドに座って話すことができたらどんなにいいだろうと思うこともしばしばでしたが、そんなことより、命に直結する検査や処置の方が優先されてあたりまえです。医療の、特に外科の現場というのは、そういうものです。
患者さんに心の機微に寄り添いたい。そう心の底が揺らぎそうになるも、医療従事者としてのケアで天手古舞。
揺らぎにまかせて行動に移してしまえばきっと渦に飲まれるかのように、優先するべき医療の現場を保てなくなるから、踏み出せない。
いつしかそうした日々が当たり前になり、心の底が揺らぎそうになる場面を、その渦に取り込まれることなくうまく切り抜ける術を覚えていったような気がします。
転機:夫の看取りと出家
しかし、12年前、主人を在宅で看取るという経験をして、心の奥底にしまい込んでいた思いが再びむくむくと動きはじめました。看取りの場においては医療と看護、どちらも必要不可欠です。でも、それだけでは不十分でした。
人が生きて、逝くためには、なにかが欠けていました。欠けているまま、なすすべもなく終わっていく命を目の当たりにして、主人も私も、苦しくて七転八倒したのです。
ほどなく、その欠けているものは、「スピリチュアルケア」だと思い至り、勉強のし直しをはじめました。
スピリチュアルケアとは、スピリチュアルペインをケアしようとするもので、スピリチュアルペインとは、「実存の危機」です。
分かりにくいですよね。そうなのです。とてもお伝えしにくい概念なのです。でも、私たち全員が抱えているもしくはこれから抱えるかもしれないものです(この件については、次回以降でさらに詳しくお話いたします)。
スピリチュアルケアについては、大学、民間団体、台湾と、片っ端からあちこちで学びまくりました。もちろん今現在も、スピリチュアルケア道の一探求者であるわけですが、いやあ、スピリチュアルケアは奥が深いです。あたりまえですよね。人の命の悲しさ、虚しさ、哀れさを見据えようとしているのですから。
そして、「スピリチュアルケア」を勉強しなおすと同時に、出家し、僧侶となったのです。
ここ。「なんで出家?」としばしばお尋ねいただくのですが、実は、自分でもよく分からないのです。
まれに、スピリチュアルケアは宗教だと勘違いされる方がいらっしゃるようですが、スピリチュアルケアは宗教ではありません。なのに、なぜ出家だったのか。
大学生の頃、シルクロードに憧れすぎてバックパックひとつで実際にタクラマカン砂漠を歩きに行って、その時に「ここは初めてじゃない。私は前世、三蔵法師様のお供でここを歩いた!」というデジャブを見たので僧侶に原点回帰したというのもあれば、主人の葬儀に葬儀屋さんが連れてきたお坊さんの読経があまりに下手くそで、こんなことなら次からは自分でやると思ったというのもあれば、CMの「そうだ京都行こう」よろしく「そうだ出家しよう」と突然降りてきたというのもあります。
理由なんて、後付けですからね。お尋ねいただくので、あれこれ絞り出してその都度お答えしているだけです。実のところ、そうなるべくしてなった以外のなにもありません。
スピリチュアルケアの奥深き道を行くときに、仏の教えは、私の足元を照らしてくれる灯になっています。宗教がスピリチュアルペインを抱える人を支える道具になるわけではなく、スピリチュアルケアの実践者であろうとする、私の支えとなっています。
救命と弔い、一見相反するふたつの役目の類似性
さてさて、これで、看護師と僧侶、二足の草鞋を履くことになりました。かたや命を救い続けようとする役目、かたや終わった命を慈しみ弔う役目。どうやって使い分けているのかと、これまたよくお尋ねいただきます。
たしかに、このふたつの役目は、共存し得ないように見えるかもしれません。でも、どちらも「なんの問題もなく生きる」という真ん中からスピンアウトしてしまっている状態に相対するという点については、同じなのです。
だから、看護師も僧侶も、ちょっとかたちが違うだけで、結局は似たようなお役目を担っているのではないかと感じています。
そう思うに至りましたのは、長いこと看護の現場で働きながら、モヤモヤと抱え続けてきたさまざまな疑問や絶望、漠然とした不安や虚しさを“飲み込むための水”のようなものが、人の“死”にあったからです。
死はどこまでも泥臭い、だからこそ智慧が開く
みなさまの中にも、大切な人を亡くされたご経験がおありの方がいらっしゃることでしょう。言葉では言い尽くせない深い悲しみの中から、なにかお気づきになったことがおありなのではないでしょうか。たとえば、私が気づきましたのは「諸行無常」というこの世の真理でした。
それが、日々を生きることの四苦八苦を“飲み込むための水”なのです。
人はすぐ、「私たちは死から学ぶのだ」「後悔しない死に方をしよう」「幸せな死を目指そう」と、前向きな考え方をしはじめるようです。実に尊敬すべきありようではありますが、綺麗事でまとめてしまうのは、どうも私の性には合いません。
死というものは、どこまでも泥臭いものです。
でも、泥臭いからこそ、汚泥からすっくと立ちあがる蓮の花のように、智慧が開くのだと思えてなりません。
連載を通じてお話していくこと
さあ、こうした思いとともに、今日からポチポチと、「終末期難民とは」、「本当におひとり様でも家で死ねるのか」、「グリーフケアとはなにか」、「生き方と逝き方を考えるスピリチュアルケアとは」、「より良い未来のための最後のピース」、などなどについてお話していこうと思います。
先に逝かれた方々に残していただいたそれぞれの“命の終い方”を大切に思い出しながら、そこに気高く咲いている智慧の花を、みなさまと共にありがたく拝見してまいりましょう。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。