謎の新興国アゼルバイジャンから|#19 歴史から何を学ぶのか【前編】国際ホロコースト記念日に寄せて
バクーの冬はとても寒いです。
1月の平均気温は5度。朝晩が氷点下になることも何度もあります。すでに何回か雪が降りました。昨年は何度も積もったそうです。今年の雪はまだ積もるほどにはなっていないので、「平年よりも暖かいね」とみんな言っています。
多分皆さんご存じないと思いますが、アゼルバイジャンにもスキー場があります。Sahdagという、ロシア連邦(ダゲスタン自治共和国)との国境に近いコーカサス山脈の山あいにあります。大きなホテルがいくつもあって、この時期外交官たちは週末になるとこぞってそこにスキーに出かけます。みんなスキー大好きみたいです。
さて。
1月12日から17日まで、安倍総理がバルト3国・南東欧3か国を訪問されました。その折、リトアニアのカウナスという街にある「杉原千畝記念館」を訪問した、という報道があったかと思います。
ご存じの方も多いと思いますが、杉原千畝は戦前の日本の外交官です。第二次大戦開戦直後の1940年、リトアニア共和国のカウナスにあった日本領事館の副領事をしていました。彼はナチスの迫害から逃れてポーランドからリトアニアにきていた約2,000人のユダヤ難民に自らの判断で日本へのビザ(通過ビザ)を発行し、ビザを得たユダヤ人とその家族約6,000人の命を救ったとして世界に知られている人物です。
彼の発行したビザは後に「命のビザ」と呼ばれるようになり、イスラエルのみならず日本でも多くの評伝が出版され、映画やテレビドラマでも取り上げられています。
記念館を訪問した総理も、「世界中で杉原さんの勇気ある人道的行動は高く評価されています。同じ日本人として本当に誇りに思います。」とコメントされています。
戦後、イスラエル政府は、第二次大戦中に人道的行為によってユダヤ人の命を救った外国人に「諸国民の中の正義の人(Righteous Among the Nations(Yad Vashem Prize))」という賞を授与しています。
これまで34人の外国人(そのほとんどは外交官です)にこの賞が授与されていますが、杉原千畝は日本人でただ一人、この賞を受賞している人です。
外交官は職責と人道的行為との間の葛藤にどう向き合うべきか
1月27日は「国際ホロコースト記念日(UN International Holocaust Remembrance Day)」です。皆さんご存じでしたか。
記念日イベントの一環として、ここバクーにあるADA大学(Azerbaijan Diplomatic Academy University、過日日本財団が日本紹介図書を寄贈し、笹川会長が授与式に出席された大学です)でシンポジウムが開催され、小職(日本国大使)もパネリストとして参加しました。
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