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【玉置妙憂:超高齢多死時代のケアを考える#3】制度の隙間をうめる

ご機嫌いかがですか。
みなさま、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。

大変なスタートとなった甲(きのえ)の辰年も、はや2か月が過ぎようとしています。診療報酬と介護報酬の改定シーズンを控え、なにかとお忙しくされていらっしゃるのではないでしょうか。

みなさま方のようなお立場にある方がひとり倒れてしまったら、きっと何十人もの人が困ることになってしまうでしょうから、どうぞご自愛ください。
とはいえ、無理は禁物です。ちょっとでも心身に不調を感じた時は、早めにお休みくださいね。(「それができたら苦労しないよ!」はい。すみません。)

さて、今日は、『制度の隙間をうめる』というお話をさせていただこうと思います。


人生の閉じ方が「ピンピンコロリ」一択では息苦しい

エンディングノートに人生会議。どこまで治療するのか、終の住処をどこにするのか、あらかじめ考えておきましょうと、世の中は煽ってきます。人生の終わり方、閉じ方を、決めておけというわけです。

その一方で、やれフレイル予防だ、認知症予防体操だと、元気に生きることにも大いに熱心です。もちろんそれは大切なことではありますが、病気になったり、介護になったりするのは努力が足りないと言わんばかりにも受け止められてしまいます。

それってつまるところ、元気に自分でなんでもできる状態をキープし続け、いよいよその時がきたらコロリと逝く。いわゆる「ピンピンコロリ」一択のような息苦しさを感じるのは、私だけでしょうか。果たして、どれだけの人がこれを達成できるのでしょう。

人の手が必要だから制度が整備される、でも……

いうまでもなく、日本は世界で一番の長寿国です(WHO(世界保健機関)発表、2023年版世界保健統計。平均寿命(男女)第一位日本84.3歳)。しかし、それがイコール健康寿命ではないことは、みなさんもご存知の通りでしょう。

日本における要支援・要介護認定者の割合は、70~74歳が5.8%、75~79歳が12.1%、80~84歳が25.8%、85歳以上が59.8%だそうです。(公益財団法人生命保険文化センターが厚生労働省「介護給付費等実態統計月報(2023年1月審査分)、総務省「人口推計月報(2023年1月確定値)を元に作成。https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1118.html

つまり、相当数の方が、人生の最期に人の手を必要とするということです。

ある意味、それは人間という生物として自然なことなのだと思います。人間は、生まれるときと死ぬときに、人の手を必要とする生きものなのです。

それを知っているからこそ、医療保険や介護保険をはじめとするさまざまな制度が網の目のように整えられているのですが、その網の目をすり抜けてしまうケースに最近しばしば遭遇します。

制度の網の目をすり抜けてしまうケース

60代前半のAさんは、独りでの生活は困難だが介護保険対象外

60代前半のAさんは、年齢が若い上に特定疾病でもなかったので、介護保険の対象外です。独りで生活するのは難しい状態でしたが、認知症もないのでグループホームにも入れず。症状はなまじ落ちついているので入院も必要なく、もちろん看取りの段階でもありませんから、お看取りを見据えた施設にも入居できませんでした。

結局、「制度」の縛りのない有志の方々の善意、朝に晩に顔を見に寄ってくださったり、ご飯時にはおかずをもって来てくださったり、ふらりと寄って世間話に興じてくださったり、そんなありがたいお気持ちに支えられながら、なんとか暮らしていらっしゃいます。

80代独居のBさんは、ちょっとした不便の蓄積でお顔の曇る日が多くなってきた

80代のBさんは、独居でADL自立。特に大きなご病気もなく、何でも自分でやっていることが自慢であり、生きがいでもありました。でも、寄る年波には勝てず、生活上に細々とした不便を抱えるようになってきました。

例えば、手指の力が弱くなりますからペットボトルのふたが開けられないとか、関節の可動域も小さくなりますから背中に膏薬が貼れないとか。本当にちょっとしたことなのですが、ちょっとしたことだからこそお願いする先がないのだと言います。でも、その「ちょっとしたこと」が、ボディーブロー。だんだんと効いてきてしまうのです。

最近は「独りで暮らすのは無理かもしれない」「生きていても寂しいだけ」と、お顔の曇る日が多くなっています。

ADLも経済も自立の90代Cさんは、ゴミの山の中で「自立」した暮らし

90代のCさんは、独りでゴミの山の中にお住まいです。でも、ADLも経済も自立している。ご本人は何も不便を感じていないのです。近隣の住人の方が心配して、役所の窓口を皮切りに果ては警察にまで相談しましたが、結局、誰も手を出すことはできませんでした。今は、何事もないようにと願いながら、一方で事が起こるのを待っているような状態です。事が起これば、手が出せますから。

活動的だった70代後半のDさんは、独りだと風邪もひけない現実に、趣味三昧をあきらめる考え

70代後半のDさんは、普段はあちこちの趣味の会に顔を出すほどお元気です。でも、うっかり風邪をひいて40度の発熱。そうなると、体に予備力がありませんからガクッときます。またたく間に、独りでは食事の準備もままならない状態になってしまいました。それでも、所詮、風邪(風邪を甘く見てよいわけでは決してありませんが)。入院をするほどの病状ではない、と言われてしまえばそれまでです。

ひとりでなんとか養生していたのですが、思うように回復せず結局、肺炎を起こしかけて数日の入院となってしまいました。今は、無事回復して退院されたのですが、「またあんなことになったら怖いから」と、趣味三昧の楽しい暮らしをあきらめる方向で考えていらっしゃるそうです。

公の制度が手を差し伸べられるのは、条件に合致した人に限られる

「そんなことなら手を貸してあげるのに」。みなさんひとりの人間としては、きっとそう思ってくださるはずです。
でも、ひとたび、公の制度を背負ってとなると、「要介護度〇以上」といった一定の物差しでみた身体状況とか、「ご家族がいない方に限る」といった同居者・親族の状況とか、さまざまな条件により縛りが生じ、そうそう簡単には動けなくなるのです。

だからこそ、あらかじめしっかり考えておいて欲しい? エンディングノートや人生会議の出番でしょうか? さて、どうでしょう。
いくら綿密に考えておいてもらったところで、制度の網の目が小さくなるわけではありません。やっぱり、するりするりと抜け落ちてしまう方は、後を断たないのではないかと思うのです。

あらたな「制度」の創設ではなく、制度の「隙間をうめるもの」が今の社会には必要

必要なのは、制度の「隙間をうめるもの」ではないかと考えています。

それは、あらたな「制度」ではありません。「制度」である限り、またしても条件付きになり、穴があいてしまうからです。
「制度」ではない、新しいなにか。100%の自由度があり、迅速に動くことができて、マンパワー的にも経済的にも回る方法……。

「そんなのあるわけないよ!」と言ってしまったらそこで終わりですから、ない知恵を絞って考えているところです。
私が当座もくろんでいるのは、「制度」に縛られない看取りの場『大慈の家』をつくること。粛々と準備を進めてはいますが、資金や法的な問題など課題は山積みです。

しかし、すでに、今、世の中は私たちがこれまでに経験したことのない未曽有の事態になっているのですから、これまでの常識に縛られた方法で対処できるわけがありません。介護の業界にも、パラダイムシフトを起こさなければいけない時がきたのです。

三人寄れば文殊の知恵と申します。頭をつなげるとKKKにはなりますが、ぜひ、チーム「介護改革結社」(仮称)を立ち上げ、知恵を絞り合いましょう。同志求む!!

玉置妙憂(たまおきみょうゆう)
看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネ-ジャー・看護教員 東京都中野区生まれ。専修大学法学部法律学科卒業。国際医療福祉大学大学院修士課程保健医療学看護管理専攻看護管理学修士。夫を在宅で看取ったことをきっかけに、出家。高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。
現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」を設立し、終末期、ひきこもり、不登校、子育て、希死念慮、遺族の喪失悲嘆まで、幅広いスピリチュアルケアを実践している。また、スピリチュアルケア実践者の育成を目的とした「スピリチュアルケア実践講座」「スピリチュアルケアトレーニング」を開催。さらに、講演会やシンポジウムなどで、幅広くスピリチュアルケアの啓発に努めている。
2023年には、『日本スピリチュアルケア実践協会』を設立。地域包括ケアシステムや病院、施設等と連携し、「今を豊かに。より良い未来を次世代に。」を目標に掲げ、「人の心に灯りをともす」べく、あらゆる場所でのスピリチュアルケア普及に力を尽くしている。

【著書】
『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社)
『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』(大和出版)
『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア 』(光文社新書)、他多数。
ラジオニッポン放送「テレフォン人生相談」パーソナリティ。
玉置妙憂のメルマガ「慈灯便り」https://resast.jp/subscribe/233280

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