【玉置妙憂:超高齢多死時代のケアを考える#5】小さな箱から滲みでた、辛い物語を書き換えるために――スピリチュアルケア
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。日々、さぞかしお忙しいことと思います。
無理をしないでと言われたって、無理をせざるを得ないご状況なのでは?
せめて一番楽な方法で、ご無理なさってください。
スピリチュアルケアとは
さて、前回は「グリーフケア」についてお話をさせていただきました。
今回は、「スピリチュアルケア」のお話です。
「グリーフケア」は、「スピリチュアルケア」の中に含まれるひとつとお考えいただければよいので、今日は、おおもとの話をしようというわけです。
さて、「スピリチュアルケア」とは。
そもそも「スピリチュアルペイン」をケアしようというのが「スピリチュアルケア」なのですが、では、まず、「スピリチュアル」「スピリチュアルペイン」とは何なのか整理しましょう。
教科書には、「全人的な痛み」「霊的苦痛」「魂」「根源的な苦痛」などと書いてありますが、これで腑に落ちる人はまずいないのではないでしょうか。
それほど、「スピリチュアル」「スピリチュアルペイン」という概念を日本語にするのは難しいのです。
“スピリチュアルの小さな箱”
私は、「スピリチュアル」は“小さな箱”、というイメージを持っています。
私たちは誰もが、生まれた時から“スピリチュアルの小さな箱”を胸の奥底に持っています。
通常は、潜在意識の底の底にしまい込んで、塩漬けしています。私たちの生命力、総合的な生きていく力が、そのようにしているのです。
普段、普通に生活が回っているときには、その“小さな箱” を手に取って眺めることはありません。そうする必要もないのです。
むしろ、“スピリチュアルの小さな箱”を毎日眺めているようでは、生きづらくて仕方ないでしょう。
でも、時には、その“生きていく力”が弱くなってしまうことがあります。
箱のふたが開くとき
たとえば、医者から余命を宣告されたとか。子どもが不登校になってしまったとか。会社の人間関係がうまくいかなくなってしまったとか。
「なんでこんなことに…」と、自分の今のあり様が肯定できなくなってしまったとき、この“小さな箱”のふたが開き、箱の底から「スピリチュアルペイン」がじわりと滲み、あふれだしてきます。
つまり、「スピリチュアルペイン」とは、自分を肯定できなくなってしまった、自分自身の「存在の危機」なのです。
今、この社会情勢の中で、“スピリチュアルの小さな箱”のふたがあちこちで開いてしまっているように感じます。
なぜなら、止まらない少子高齢化、超高齢多死時代の到来、GDPの後退と、社会そのものが「死」の影をまとっているからです。
たちが悪いのは、これらが目に見えないということです。
事が起きた時、己の身を守る一番有効な手段は、物理的な距離を置く、ということです。しかし、これらの状況は肉眼でとらえることができないため、どんな手段、対策をとっても不安を一掃することはできません。
同時に、事態が収束したかどうかも目で見て確かめることができないため、安心するタイミングをつかむこともできずにいます。延々と、出口のないトンネルの中を行かざるを得ないのです。
昨今の、自死者数の増加とうつ病発症数の増加が、そのことを示唆しているように思えてなりません。
日常生活の中で、本来であれば潜在意識の奥底に塩漬けされてあるべき“スピリチュアルの小さな箱” のふたが開いてしまっているのであれば、市井の人々が生きづらさを感じていないわけがありません。
だからこそ「今」そして「これから」を支える「スピリチュアルケア」が必要なのだと考えています。
スピリチュアルペインに苦しむ80代のご婦人
先日、ある方から次のようなご相談をいただきました。
ご相談にいらした80代のご婦人は、2週間前に50代の娘さんを自死で亡くされたばかりでした。
「まだ、夢の中にいるみたいです。頭の中がごちゃごちゃで、なにがなんだか分からないんです。」
娘さんは、10代のときに精神疾患と診断され、それからずっと医者との縁が切れたことのない生活だったそうです。
それでも、薬でうまくコントロールできていた時期も長くあり「病気なんて嘘だったんではないかと思うほど、元気なときもあったんです。」と。
仕事をするまでになったこともあったものの、心の状態はなかなか安定せず、ここ10年は家で過ごす日々を送っていたそうです。
娘さんが30歳になろうという頃に、ご主人は病気で亡くなられたそうですが「しっかりといろいろ整えていってくれました」。母子二人の生活になっても、経済的に困るようなことはなかったそうです。
このまま二人で静かに暮らしていける、そう安心していると。
「私が80歳になった頃から、娘が“8050問題”というようなことを言うようになったんです。」
その頃から娘さんはしきりと母親の体力の衰えを気にし「前はもっとてきぱき動いていた」と、きつい物言いをするようになっていったそうです。
体力には自信があり、まだまだ頑張れると自負していたご婦人は、そんな娘さんの言葉を聞き流していました。
でも、あの日。
「買い物から戻ると、世界が一変していました。」
テーブルの上には「もう頼れない できない」そう書きなぐった紙が一枚置いてあったそうです。
「娘は、80を超えた私に頼ることを、良しとしなかったのでしょう。私は、8050問題を、あんなかたちで娘に片付けさせてしまったのでしょうか。」
その人の存在そのものを支えるケア ―縦軸のケア― が必要
このような話を目の当たりにすると、社会制度や仕組み、さまざまな支援サービスを更に充実させることが必要だと考えますね。
もちろん、その通りです。
でも、それらはすべてその人の存在に対しては、周囲を支える「横軸のケア」なのです。
どんなに「横軸のケア」が充実したとしても、それらの仕組みやサービスを使って、実際に危機にさらされたその人の存在そのものを支えるケアがなければ、決してうまくいきません。
つまり、それが「スピリチュアルケア」、「縦軸のケア」なのです。
「スピリチュアルケア」は、その人の存在そのものを支えようとするものです。
ずいぶんたいそうな話になってきました。
いったいなにをすれば、「存在そのものを支える」なんてことができるのでしょうか。
あえてひと言でいうと、「聴く」ということです。
事実ではなく、物語が重要
みなさんには、さまざまな思い出があることでしょう。
「とても楽しい旅行だった」「あのときはひどい目にあった」。
さて、それらは、事実ですか?
たぶんそうではありません。
私たちは目の前に起きた事象を見て、瞬時に自分で物語を作ります。
そして、その物語を蓄積していくのです。
家族旅行に行って皆同じ行動をしてきたのに、それぞれの思い出が違うのはこのためです。
つまり、「もう生きていく意味がない」は、事実ではなく、物語だということです。
自分にとって、とても苦しく辛い物語(存在の危機)を自分で作ってしまった、それが「スピリチュアルペイン」を抱えている状態です。
でも、事実ではなく物語なのですから、書き換えることが可能です。
物語の書き換えは、社会制度やさまざまな支援サービスではできません。
本人にしかできないのです。
だから、語ってもらいます。
いま抱えている辛く苦しい物語を、何度も何度も繰り返し語ってもらうのです。
繰り返し「聴く」ことで「語り」に伴走するのが「スピリチュアルケア」の基本形
何度も繰り返しているうちに、話って、だんだん変わってきますよね。
新しい気付きや、それまでになかったものの見方などが、ちょっとずつ足されるからです。
「もう生きていく意味がない」と言いながら、「でも、昨日食べた定食屋のご飯は美味しかったんですよね」といった具合に。
物語を書き換えるのは、そうそう簡単なことではありません。
時間も労力もかかります。
そのプロセスに「聴く」ことで伴走するのが、「スピリチュアルケア」の基本形です。
ただし、聴き方にはコツが必要です。
それについて書きはじめると終わりそうにありませんので、ここまでにしておきましょう。
ご興味のある方は私が主催する大慈学苑の『スピリチュアルケア実践講座』をのぞいてみてくださいね。