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#55|カスハラ対策~企業と従業員を守るために~

市川 茉衣(いちかわ まい)
ドリームサポート社会保険労務士法人

労働分野の実務の参考となる情報を提供する「プロが伝える労働分野の最前線」第55回のテーマは、カスタマーハラスメント(顧客等からの著しい迷惑行為)の対策です。“お客様”という優位な立場で行われる不当な要求、執拗な叱責、暴言・暴行、迷惑行為などから従業員を守るため、企業が実施すべき対策はどのようなものが考えられるでしょうか。ドリームサポート社会保険労務士法人の市川茉衣さんが対策のポイントを解説します。


業種を問わず、‟顧客等からの著しい迷惑行為”は存在

店頭で顧客が従業員を怒鳴りつける場面に出くわしたことが、誰でも一度はあるのではないでしょうか。あるいは、実際に顧客から理不尽な要求をされた経験があるという方もいらっしゃるかもしれません。

厚生労働省は「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」の中で、

顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの

をカスタマーハラスメント(以下、カスハラ)と定義しています。

厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査」によると、業種を問わず「顧客等からの著しい迷惑行為に関する相談」が従業員から会社に寄せられていることがわかります(表1参照)。
特に、「医療、福祉」や「宿泊業、飲食サービス業」など、顧客等と接する機会が多いとトラブルが発生しやすい傾向にあるようです。

表1 過去3年間の顧客等からの著しい迷惑行為に関する相談の有無(業種別)

出所:厚生労働省「令和5年度職場のハラスメントに関する実態調査報告書」

このような統計調査が実施されることや、カスハラという単語と概念が社会に広く浸透したことは「“お客様”だからといって、何をしても許されるわけではない」という認識が社会全体に広がった証拠と言えるかもしれません。

カスハラ対策は事業主の義務

令和2年1月に、厚生労働省により「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(いわゆるパワハラ指針)が策定されました。
その中には、パワーハラスメントやセクシュアルハラスメントだけでなく、カスハラ対策も含まれています。

令和5年9月には、精神障害の労災認定基準にもカスハラに関する項目が追加されました。従業員がカスハラによりメンタル不全等に陥った場合は、企業が安全配慮義務を怠ったと判断されかねません。つまり、企業が法的に責任を問われる可能性があるのです。

正常な業務遂行ができない、人材流出、金銭的喪失など、カスハラは企業に大きな影響をもたらします。事業活動を維持するためにも、従業員の安全と健康を守るためにも、カスハラ対策は企業の急務であると言えます。

では、どのような対策を講ずればよいのでしょうか。次の項目から順を追って説明します。

まずは自社内で‟カスハラ”を定義することから

まずは、どのような行為がカスハラにあたるかピックアップして、社内で「カスハラ」の共通した定義を作成する必要があります。
厚生労働省の「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」の中では、カスハラにあたりうる例を以下のように示しています。

表2 カスハラにあたりうる例

出所:厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」をもとに筆者作成

しかし、これだけでは抽象的なので、この考え方をもとに各企業が自社の企業活動の中でどのようなカスハラのリスクがあるか考える必要があります。

自社でどのようなカスハラが発生するか予想し、具体的な対策を立てるためには、顧客等と接する機会の多い従業員から「接客中にトラブルに発展したエピソード」や「今後、接客中に起こりそうなトラブル」などをヒアリングするとよいでしょう。

企業が提供するサービスに関係のない要求や、従業員に対する暴力などは明らかなカスハラと認定できる一方で、商品交換、金銭補償、謝罪の要求は、どこまでが正当で、どこからがカスハラにあたるか見極めることが難しい場面があります。

全ての企業に当てはまる正解がないため、各企業で判断しなければなりませんが、厚生労働省が運営するハラスメント対策の情報サイト「あかるい職場応援団」では、「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」や「カスタマーハラスメント対策企業事例」などを公開しており、カスハラの定義や対応を考える助けとなります。

出所:厚生労働省「あかるい職場応援団」

自社内で‟カスハラ”を定義できたら、「カスハラを放置しない」「カスハラから従業員を守る」という企業姿勢を示しながら、どのような行為がカスハラに該当するか、社内外に伝えます。最近では店頭やウェブサイトでカスハラに対する方針を公表する企業も増えています。

カスハラを受けた場合の報告、対応フローを作って機能させる

次に、カスハラを受けた場合の報告、対応フローを作って機能させます。
具体的には、次のような対応が想定されます。

  • 「スタッフ」⇒「リーダー」⇒「店長」⇒「エリアマネージャー」⇒「本部」の順で対応し、顧客等の不当な要求が収まらない場合は、自分よりも職位の高い者に引き継ぐ

  • 「○分以上」店内に居座って不当な要求を続けた場合は警察に通報する

  • カスハラと思われる案件が発生した場合は、「○日以内」に本部に報告し、必要に応じて警察や弁護士に相談する

  • カスハラを受けた従業員のケアを行う部署と、担当者をあらかじめ定めておく

「カスハラを放置しない」と宣言しただけでは意味がないため、具体的な対応が求められるでしょう。

社内研修を実施して対応方法を周知する

アルバイト、一般社員、管理職など、それぞれに社内研修を実施して対応方法を周知することも重要です。

  • どのような行為がカスハラに該当するか

  • カスハラを受けた場合、見た場合に、どのように対応すればよいか

  • 自分でどこまで対応して、上司に引き継ぐべきか

といったことに関して、全社で共通認識を持つことは非常に重要です。

きちんと研修を受けていれば、いざというときに焦らず冷静に対応できるだけでなく、「不当な要求をされたとしても、会社が味方になってくれる」と知ることで、従業員の安心につながります。

著しい迷惑行為には毅然とした対応を

「正当な要求とカスハラの線引きが難しい」「法律や約款を持ち出すと、かえって顧客を逆上させてしまう」など、カスハラ対策に積極的に乗り出せずにいる企業の声も聞こえてきます。

しかし、前述の通り、カスハラを放置すると企業に様々な悪影響を及ぼします。東京都は、2024年9月に全国初の「カスハラを防ぐ条例」案を定例都議会に提出する見込みです。独自のカスハラ対策を打ち出す企業や自治体も多く、カスハラ対策に対する関心は全国的にも高まりを見せています。

出所:厚生労働省「カスタマーハラスメント対策啓発ポスター」

とある大手小売業では、不当な要求をする顧客等から従業員を保護するために、以下の内容を接客マニュアルに新たに加え、特に悪質なカスハラに対しては警察と連携し、当該顧客を入店禁止とするなどの方針を打ち出しています。

  • どのような言動がカスハラにあたるか

  • 具体的な対応方法

従業員個人への迷惑行為を防ぐために、イニシャルやニックネームの名札を採用する飲食店も増えつつあります。

カスハラ対策は「ビジネスと人権」の観点からも必要不可欠

「顧客等」という優越的な立場を利用して不当な要求をしたり、労働者の心身を傷つけたりすることは人権侵害です。

近年「ビジネスと人権」に対する意識は高まりを見せ、自社の企業活動に関わる全ての人の人権を尊重することが求められています。その中に自社の従業員が含まれることは、言うまでもありません。

カスハラ対策は始まったばかりで、まだ手探りの状態という企業も多いでしょう。「どこからがカスハラか」「従業員からカスハラ被害の相談を受けたら、どうすればよいか」など、判断や対応方法に迷う場合は、他社事例をよく知る外部専門家に相談するのもおすすめです。

従業員と顧客等がお互いに尊重し合い、誰もが安心してサービスを提供し、受けとれる社会をつくるためには、法令だけでなく、それぞれの企業の取り組みが必要不可欠です。どのような対応が望ましいか、社会全体で考えていきましょう。


市川 茉衣(いちかわ まい)
ドリームサポート社会保険労務士法人
社会学部にてメディア社会学を学ぶ。卒業後、小売業や生命保険会社にて、顧客対応に従事。2019年5月、先進的な働き方である「週4正社員制度」を実践しているドリームサポート社会保険労務士法人に興味を持ち入社。
現在は、つなぐ課にてセミナー運営、プロモーション業務全般に携わり、法人が提供する動画コンテンツの企画・撮影・編集・展開までを牽引して行うなど、活躍している。
フルマラソン3時間台を目指し月間300キロの走り込みを行うアマチュアランナーでもある。

ドリームサポート社会保険労務士法人
東京都国分寺市を拠点に事業を展開し、上場企業を含む約300社の企業の労務管理顧問をしている実務家集団。

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