#02 「寿命」と「予防」の関係(小竹雅子)
7月21日の第25回参議院議員通常選挙を前に、金融庁がまとめた報告書『【PDF】高齢社会における資産形成・管理』をめぐり、報告を頼んだ(諮問した)麻生太郎大臣が受け取りを拒否した挙句、首相官邸の『【PDF】認知症施策推進大綱』(6月18日公表)や財政制度等審議会の『令和時代の財政の在り方に関する建議』(6月19日閣議決定、2019年建議)からも関連する記述が削除される騒ぎになりました。
金融庁の報告書は、公的年金だけでは老後の生活は維持できないから、「金融サービス」を活用して“資産寿命”を延ばそうと主張しています。資料を読んだとき、国民にリスキーな投資を促すのかとびっくりしたのですが、国会では「高齢夫婦の老後には2,000万円」、「介護が必要になればさらに1,000万円」という金額がクローズアップされ、「100年安心」の年金改革法をめぐる論戦になりました。
一方、6月21日に閣議決定された『経済財政運営と改革の基本方針2019』(骨太の方針2019)は、2040年までに“健康寿命”を3年以上伸ばして75歳以上にする「健康寿命延伸プランの推進」を掲げ、介護保険の一般介護予防事業(地域支援事業)で「市町村における保健事業と介護予防の一体的な実施を推進」するとしています。
“介護予防”といえば、認知症施策推進関係閣僚会議(菅義偉・議長)がまとめた『認知症施策推進大綱』は当初、「70代の認知症発症を6年間で6%低下」させることをKPI(重要業績評価指標)にしました。しかし、当事者団体やメディアなどの反発を受け、「70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す」という努力目標に格下げされました。とはいえ、『骨太の方針2019 』は『認知症施策推進大綱』にもとづき、「予防に関するエビデンスの収集・評価・普及、研究開発などを進める」としていて、あくまでも“認知症予防”路線です。
認定者の73%は80歳以上
介護保険制度は、40歳以上の被保険者が保険料を払い、認定を受けた人が給付(サービス)の対象になります。被保険者は、第2号被保険者(40~64歳)が4,200万人、第1号被保険者(65歳以上)が3,440万人で、およそ7,640万人が毎月、介護保険料を払っています。
認定を受けた人は、2016年度調査で632万人、全被保険者の8.3%です。65歳以上の第1号被保険者が98%とほとんどですが、高齢者全体でみれば18%にすぎません。
認定者数の推移をみると、総数と75歳以上の「後期高齢者」は同じように伸びていますが、65~74歳の「前期高齢者」と、40~64歳の第2号被保険者は横ばい状態です(データ1)。
また、厚生労働省は2014年度から、65歳以上の認定者を5歳ごとにも集計しています。直近の2016年度では、認定者の73%が80歳以上になります(データ2)。
2016年の日本人の平均寿命は女性が87.14歳、男性が80.98歳ですから、平均寿命を超えて生き抜いている人たちが給付の対象ともいえます。
平均寿命と“健康寿命”
3月28日、厚生労働省2040年を展望した社会保障・働き方改革本部の「健康寿命延伸タスクフォース」は、「健康寿命のあり方に関する有識者研究会」(辻一郎・座長)の報告書を公表しました。
タスクフォース(task force)は軍事用語で「機動部隊」を指し、「特別な任務を遂行する部門・チーム」の意味もあるそうです。
この報告書をもとに、5月29日、「2040年までに健康寿命を男女ともに3年以上延伸し(2016年比)、75歳以上とすることを目指す」という『【PDF】健康寿命延伸プラン』が公表されました。
“健康寿命”は「日常生活に制限のない期間の平均」で、「平均寿命と健康寿命の差」は「不健康期間」になり、これを短くするために「介護予防・フレイル対策、認知症予防」などに取り組むそうです。
厚生労働省の「平均寿命と健康寿命の推移」で2001年と2016年を比べてみると、男性は2.74年、女性は2.14年、健康寿命が伸びています。しかし、平均寿命も男性は2.91年、女性は2.21年と、“健康寿命”をやや上回るように伸びています(データ3)。
ふたつの「寿命」はパラレルな関係なので、これから20年間かけて、どちらも「3年以上延伸」できる可能性はあります。
“健康寿命”への政府の期待
ところで、介護保険では2006年度から介護予防事業(地域支援事業)が新設され、認定を受けていない高齢者も対象にしています。では、介護予防事業は“健康寿命”の伸びに貢献しているのかというと、国会での「定量的な効果はない」という政府答弁のほかに、追跡調査などは見当たりません。
いずれにしても、“健康寿命”を伸ばして、どうするのでしょうか。
『骨太の方針2019』では、「健康に働く社会保障の『担い手』を増やし」、「年金改革等を通じてより多くの国民の労働参加を促すこと等により、可処分所得の継続的な拡大を実現する」としています。
金融庁は可処分所得を増やすために「金融サービス」の活用を勧めましたが、報告書を受け取らなかった政府は、国民が75歳まで「健康に働いて、収入を増やす」ことを期待しているわけです。
“認知症予防”の登場
介護保険の認定者は75歳以上が86%で、認定を受ける理由で多いのは、認知症と脳血管疾患です。『骨太の方針2019』が期待する労働力ではないでしょう。
でも、『健康寿命延伸プラン』は、「介護予防」の充実を語ります。『認知症施策推進大綱』も努力目標にはしましたが、認知症の“予防”を目指しています。『骨太の方針2019』は「『共生』を基盤として予防を進める」としていますし、6月20日に議員立法として国会に提出された「認知症基本法案」では「認知症予防を強化へ」という報道があります。
“予防”は“逃避”か?
認知症の人を年代別にみると85歳から飛躍的に上昇し、90代では6割を超え、95歳以上は約8割になります。平均寿命を超えたらみんな認知症になるという前提で、何事も考えたほうがよさそうです(データ4)。『2017年版高齢社会白書』も高齢者の認知症の有病率について、「2025年には約5人に1人(675万人~730万人)になるとの推計もある」と報告しています。
しかし、政府や行政は“予防”で要介護や認知症になることを防ごう、「不健康期間」を短縮しようと繰り返します。まるで、介護保険の認定者は「健康」からの脱落者と言わんばかりです。
なお、『骨太の方針2019』は、「介護予防の推進」のため「保険者と都道府県の予防・健康インセンティブの強化を図る」として、市区町村にもっと「介護予防」に励むように言っています。
「インセンティブ」とは、2017年の介護保険法改正で導入された「保険者機能強化推進交付金」のことで、厚生労働省が設定したチェック項目の達成度に応じて、市区町村に交付金が支払われています。
また、『認知症施策推進大綱』では「認知症疾患医療センターと地域包括支援センター等との連携を一層推進する」としています。地域包括支援センターは、2005年の介護保険法改正で新設された地域支援事業の包括的支援事業です。
介護保険のサービスが必要な高齢者が今後も増えることは明らかなのに、「エビデンス」の研究はこれからという根拠不在のなかで、介護保険を“予防”に誘導するのは、現実をみつめない逃避行動のようにもみえます。
“資産寿命”と負担能力
“健康寿命”のつぎは、“資産寿命”です。批判を浴びた金融庁の「延伸プラン」は「金融サービス」の活用ですが、資産を運用するゆとりがある人はどのくらいいるのでしょうか。
認定を受けた人の家計支出に限れば、介護保険法の改正では、2005年に「在宅と施設の公平性」をはかるとして施設サービスの居住費と食費が利用者の自己負担になり、あわせて低所得者のために補足給付(特定入所者介護サービス費)が新設されました。
2014年には「費用負担の公平化」として「一定以上の所得」がある人は2割負担になり、補足給付を受ける条件に預貯金チェックが追加されました。
2017年には「介護保険制度の持続可能性の確保」のため、2割負担のうち「特に所得の高い層」の人が3割負担になりました。
そして2019年、財政制度等審議会の『2019年建議』は、利用者負担は原則2割、ケアマネジメントへの利用者負担の導入、補足給付の条件に不動産チェックを追加など、さらに自己負担を増やすことを求めています。
高齢者の負担能力がわかるのは、総務省統計局の『家計調査』です。金融庁の報告書をまとめた金融審議会「市場ワーキング・グループ」(神田秀樹・座長)の資料のほか、経済産業省の産業構造審議会2050経済社会構造部会でも4月15日の第5回資料3「【PDF】労働市場の構造変化の現状と課題について」に引用されています。
この調査は「家計収支編」と「貯蓄・負債編」に分かれます。「家計収支編」では、月々の家計は高齢夫婦で4~5万円、ひとり暮らし高齢者で3~4万円の赤字で推移しています(データ6)。
赤字分は預貯金の取り崩しをするケースが多いのでしょうが、2017年の「貯蓄・負債編」では、高齢者の平均貯蓄額は2,284万円になります。しかし、分布をみるとわかるように、平均未満の人が68%と多数派で、600万円未満の人も3割近くなります。(データ7)。
家計の赤字を預貯金で補う場合、維持できる期間にも相当な差が出ることは明らかです。しかし、『家計調査』では、「家計収支編」と「貯蓄・負債編」はそれぞれ調査対象が異なるため、実収入と預貯金をあわせた負担能力は不明のままです。そして、調査された人のなかに、介護保険を必要とする人がどのくらいいるのかもわからないのです。
介護保険では「給付と負担」の議論がさまざまに展開されていますが、「健康に働いて、収入を増やす」ことができず、「金融サービス」の活用もしがたい人たちを支えるために、制度を創設したことを忘れないでもらいたいと思います。