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20年を迎えた介護保険(中村秀一)

霞が関と現場の間で

介護保険制度が発足して20年が経過しました。介護サービスの基盤を整え、増大する介護需要に応えることで介護難民の発生を回避したことは、介護保険制度の大きな成果です。いま全世代型社会保障を目指す中で地域共生社会の構築が課題となっていますが、介護保険が達成したことを他の制度に均霑していくことを考えるべきでしょう。
(本コラムは、
社会保険旬報2020年4月1日号に掲載されました)

安定していた20年

介護保険が施行して20年である。混乱が生じないかと極度の緊張で迎えた2000年4月1日のことは、つい昨日のことのように鮮明だ。それから20年、時の経過の早さに驚く。

これまで5回の制度改正が行われた。その結果、制度が複雑化したという指摘もある。時代背景も違うので単純な比較は慎まなければならないが、医療保険制度が皆保険達成後の20年間に体験した激動の歴史を考えると、介護保険制度は極めて安定的に推移し、制度の根幹は揺らいでいないように思う。

変更点は、一定以上所得者への2割、3割負担の導入、食費・居住費の利用者負担と補足給付の制度化、地域支援事業の創設、若干のサービスメニューの追加といったところである。

何が達成されたか

この20年間に65歳以上人口は、2165万人(2000年)から3528万人(2019年)へと1.6倍となった。高齢化率も17.4%から28.4%と急上昇した。一方、要介護認定者数、サービス利用者数及び介護保険の総費用額はいずれも3倍以上となった。高齢化のピッチを上回る介護サービスの提供を実現し、増大する介護需要に対応できたことがこの制度の最大の成果だ。

筆者は、1990年当時老人福祉を担当していた。措置制度の下で介護サービスが伸びず、このままでは介護難民が生ずるという危機感を持った。その懸念を払拭したのが介護保険だ。

当時の社会保障給付費の規模は47.4兆円(1990年)。そのうち「福祉その他」は4.8兆円で全体の10.2%に過ぎなかった。現在、社会保障給付費123.7兆円(2019年)、「福祉その他」は5.6倍の27.2兆円に達し、全体の22.0%を占めている。

平成の時代、福祉の伸びが年金や医療の伸びを大きく上回った。福祉を伸ばしたエンジンが介護保険であったことは言うまでもない。

全世代・全対象に成果を均霑する

2012年の「社会保障と税の一体改革大綱」(閣議決定)以降、地域医療構想の実現と並び地域包括ケアシステムの構築が医療・介護提供体制改革の2大目標となった。地域包括ケアの推進のため、地域包括支援センターの設置、在宅医療介護連携の推進、地域ケア会議の開催、生活支援コーディネーターの配置や協議体の設置などが不可欠だ。地域支援事業がその財源を出しているのだ。

国は、地域共生社会の実現を掲げ「全世代・全対象型地域包括支援」を提唱している。介護保険がこの20年間に切り開き、達成したことを、他制度・他施策に均霑していく必要がある。

介護保険が直面する重大な課題

もちろん介護保険に課題がないわけではない。
上昇する介護保険料を考えると、制度の持続可能性をどう維持していくかは今後の大きな課題である。

40歳以上から保険料を徴収し、65歳以上の者の介護費用を負担するという制度であるが、65歳以上人口と40~64歳人口が逆転する時期が遠からず来る。 制度発足当時からの議論であった被保険者範囲の見直し(「介護保険の普遍化」として議論されてきた)が、「全世代・全対象型」という政策とも相俟って、議論されなければならないであろう。

さらに、介護需要がまだまだ伸びる中で必要な介護サービスが確保できるのか、介護人材の確保に困難を極めている現下の状況を踏まえると、これからの介護保険が直面する重大な課題である。

中村秀一(なかむら・しゅういち)
医療介護福祉政策研究フォーラム理事長
国際医療福祉大学大学院教授。1973年、厚生省(当時)入省。老人福祉課長、年金課長、保険局企画課長、大臣官房政策課長、厚生労働省大臣官房審議官(医療保険、医政担当)、老健局長、社会・援護局長を経て、2008年から2010年まで社会保険診療報酬支払基金理事長。2010年10月から2014年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長として「社会保障と税の一体改革」の事務局を務める。この間、1981年から84年まで在スウェーデン日本国大使館、1987年から89年まで北海道庁に勤務。著書は『平成の社会保障』(社会保険出版社)など。


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