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#3 第3回年金部会・第6回経済前提専門委員会の議論を巡って②

権丈 善一(けんじょう よしかず) 
坂本 純一(さかもと じゅんいち)
玉木 伸介(たまき のぶすけ)
司会:年金時代編集部

※この記事は、2018年10月23日に「Web年金時代」に掲載されたものです。

玉木氏の「給付は負担である」は年金の本質をとらえた画期的な表現

権丈:玉木さんから、経済前提専門委員会でのこれまでの議論についての感想をお聞きしました。私が、以前、玉木さんをすごいと思ったのは、初めてお書きになった年金の著書(『年金2008年問題』)の中で、「給付が負担である」と書かれていることですね。つまり、高齢者の生活水準(給付)を支えているのは、勤労世代が生産したものからの分配(負担)であると言っている。今でこそ、ニコラス・バーの「Output is central(生産物こそが重要)」という言葉が流通していますが、結局、高齢者の生活水準の分だけ、生産された財・サービスが使われているわけですから、年金を積立方式で設計しようが賦課方式で設計しようが、現役世代の人たちから見れば、負担なのだというロジックが玉木さんの中では、日銀や総合研究開発機構(NIRA)でのお仕事を通じて、自然にでき上がっていったんですね、そこがすごいなあと以前から思っていまし。だから、さきほどの長期的に何十年という単位で、金融経済を見てきて、インフレで頑張っていた状況から、今のデフレの状況までのいわゆる年の功ということとプラスして、なんか、こう、公的年金を理解する特別なセンスというものがあるのではないかと思っています。だから、経済前提専門委員会で検討作業班の座長として、みんなが玉木さんを推したんだと思います。

坂本:私は、玉木さんの著書を拝見するまでは、「負担」というと、現役世代が負担する保険料のことだという一般的なとらえ方をしていました。ところが、玉木さんが「給付が負担である」と書かれているのを見て、アッと思ったのですね。財・サービスは将来にわたって蓄えられるものではないが、そうした財・サービスが受給者に給付されなければならないところに年金制度の難しいところがあるのだと気づかされました。

坂本氏。

玉木:私が、そうした表現に至ったのは、一つには研究のテーマが公的年金の積立金だったということがあります。私たちの親の世代は昭和30~40年代に、私が子どものころに一所懸命に保険料を払っていた。そのお金がどこに行っていたのかと言うと、厚生省から大蔵省理財局に行って、資金運用部(今の財政融資資金)の資金になって、それが財政投融資になって、新幹線や高速道路や黒四ダムになった。これは私の親が税金を払う代わりに保険料を払って、普通だったら財政学で扱うような領域のことが、年金の世界でできていたわけです。そして、それは私の親の世代を豊かにしたということですから、親の生活水準を上げたということではないかと考えました。つまり、積立金が運用されてその時点の現役世代の生活水準を上げるとすれば、現役世代の負担は積立金の形成に充当された保険料ではないということになるはずです。そこで、積立金の本質はなんだろうかと考えていくと、保険料が積み上がった積立金が給付され、それを受けた高齢者が消費するところにあるのだと、実物的に考えたほうが、頭の中でわかりやすかったということなのです。

権丈:いや、実は、昔々のことですけど、玉木さんがこの世界に入って来られて、まわりの人にいろいろと話をしても話がかみ合わない。年金経済学者という人たちと話しても、積立方式だ世代間格差だとおかしなことばかり言うから、玉木さんは、坂本さんに、だれかこういう話がわかる人はいないのかと相談され、坂本さんが僕に声をかけてくれまして、3人で会ったことがあるんですよね。先日手帳を見たら、2005年7月21日に国際フォーラムの地下のパパミラノでした(笑)。もう13年前になるんですね。

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