数理の目レトロスペクティブ|#12 定義の大切さ
前回まで給付算定式を見てきたが、今回から給付を支える負担に関するテーマを見ていくことにしよう。わが国の公的年金制度は社会保険制度であるので、給付のための財源は主として保険料である。この保険料の決定方法にまつわるテーマが中心となる。
保険料の決定方法に関して「財政方式」という言葉で表される概念がある。年金数理としてこの言葉が使われるときには、給付が先に決められている制度において、その給付のための財源を時系列的にどのように調達するかその方法を総称して使われている。毎年度必要な給付費をその年度に調達する財政方式は賦課方式と呼ばれ、よく知られている。一方、毎年度の給付費を未来永劫一定率の保険料率で調達し、世代間の保険料率に差が開かないようにして保険料を調達する財政方式は平準保険料方式と呼ばれる。
ここまでは比較的概念がはっきりしていると思う。ところがこの財政方式周辺では、同じ言葉を用いながら意味が違っているものや、意味が明確でないのに頻繁に用いられる言葉があり、交通整理が必要な部分がある。これを見ていくことにしよう。
まず、財政方式という言葉そのものである。これは上に述べたように、年金数理としては保険料の時系列的な調達方法を総称する用語である。ところが、平成12年の年金改正のときに全く別の使われ方をした。それは基礎年金の財源を保険料にするか、税金にするか、という対立軸について使われたのである。つまり、財源の属性を表す言葉として用いられたのである。因みに平成20年頃に再びこの議論が繰り返された。端的には、国民年金法平成12年附則第二条に使われた。これは年金数理上の財政方式とは異なる用語法である。
しかしながらこれくらい意味が異なって用いられると、文脈からその意味が推定できる。財政方式に関する用語のうち時々混乱が生じているのが「積立方式」である。振り返ってみると、積立方式という用語は概ね次の三つの意味で使われているように思う。
第一は、平準保険料方式の意味である。平準保険料方式で財政を運営すると、通常、積立金が形成されるので、このような用語法が生まれたのであろう。
第二は、事前積立方式の意味である。給付建ての企業年金の財政運営に用いられる概念である。これまでに発生している加入員の受給権に見合う積立金を常に保有することを目標に、財政を運営する考え方である。
第三は、確定拠出型制度の代名詞としての使われ方である。1994年の世界銀行の報告書“Averting the Old-age Crisis”以来、主としてエコノミストが使い始めたように思われる。口座に掛金を積み立てるという行為を描写して生まれた言葉なのであろう。
議論をするとき用語の定義が一致していないと、しばしば不毛な議論に終わってしまう。また議論が混乱する。用語の定義を整理しておく必要がある。次回も引き続きこの整理を試みることにする。
[初出『月刊 年金時代』2008年5月号]
【今の著者・坂本純一さんが一言コメント】
社会科学の対象は一般に複雑であり、多面性を有する場合が多い。同様に政策論や、制度の枠組みの議論においてもテーマは複雑で、多面性を有する。したがってこのような議論に用いる用語には明確な定義が与えられていないと、議論が混乱し、誤った結論に導かれることも起こり得る。すなわち用語の定義の大切さは、政策論や制度の枠組みを詰める議論をする場合に、特に心得ておくべき事項であろう。
年金財政の議論の中で「積立方式」という用語が3つの異なる意味に使われることに触れたが、もっと議論が混乱したのが「世代間の公平性」という概念であった。1994年の世銀の報告書以降、個人勘定への積立により公的年金を再編することを目指す論者は、世代間の公平性という言葉をしきりに用いた。現行の賦課方式の財政方式では将来世代ほど負担が増え、世代間の公平性が保たれなくなっているので、個人勘定による方式に制度を再編すべきである、というのがこれらの人の主張であった。しかしながら少し立ち止まって冷静に考えると、世代間の公平性とは何かが定義されていない。それに、個人勘定では寿命の延びにも対応できず、生活水準の向上や物価の上昇にも対応できない。にもかかわらず、市場原理主義を唱える人々を中心に、個人勘定による公的年金制度の運営が主張されたのである。
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