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原典で読む社会保障政策(中村秀一)

霞が関と現場の間で

「無観客」の講義

緊急事態宣言は5月25日に解除されたものの、東京ではしばらく自粛生活が続きそうだ。2012年から国際医療福祉大学の大学院で教えているので、例年であれば4月は新学期で講義の準備に追われている時期である。今年は新型コロナウイルスの感染防止のため、大学院の開講が延期され、ようやく4月下旬から遠隔授業方式で講義が始まった。

筆者の講義は大学院が実施する公開講座である「乃木坂スクール」の講座としても位置付けられているため、院生以外の一般市民も受講される。このため、教室での講義が望ましいので、大型連休明けまで感染の鎮静化を待っていたが、諦めて講義を収録し配信する方式で授業を始めている。スポーツで例えれば「無観客試合」であり、勝手が違い、大いに戸惑っている。

文献で辿る社会保障の歩み

この4月からの講義のテーマは「原典で読む社会保障政策」とした。社会保障の形成と発展、老人福祉から介護保険へ、社会保障改革論、少子化問題という4つのテーマを扱う。当初の予定では、毎回文献を指定し、受講者に報告してもらい全員で討論するという「参加型」の講義を目指していた。

当時の文献を繙(ひもと)き、その時代に身を置くことにより、制度・政策についての理解を深めるという狙いである。配信方式となったため、このような進め方は無理となったが、各自で文献を読み込んでもらうことにした。

果たして『戦後』は終わったか

最初に取り上げた文献は、厚生白書の第1号である昭和31年版の厚生白書だ。「もはや戦後ではない」というフレーズが有名な経済白書は同じ年の出版である。これに対し、厚生白書は「もはや『戦後』ではない、というのが、最近の流行語になっている」とした上で「果たして『戦後』は終わったか」として、復興の背後に取り残された人々、国民の生活水準の上下のひらき(階層別格差)の拡大を語り、明暗両面があることを指摘した。 「社会保障制度という言葉が一般用語として耳馴れてきたのは、ごく最近のことである」という時代に、「社会保障制度とは、言ってみるなら『貧困と疾病の脅威からわれわれの生活と健康を守ろうとする国民的努力の現われ』にほかならない。」と定義した。

「注意しなければならないことは」と白書は述べる。「近時、社会保障施策の推進に伴い、国民がまず自らの生活と健康を守り、さらにこれを向上増進させようとする努力をともすれば怠り、社会保障が単に政府の措置だけで容易に解決できるもののように思いがちとなること」。64年前の執筆者の肉声が聞こえる。 

(本コラムは、社会保険旬報2020年6月1日号に掲載されました)


中村秀一(なかむら・しゅういち)
医療介護福祉政策研究フォーラム理事長
国際医療福祉大学大学院教授1973年、厚生省(当時)入省。 老人福祉課長、年金課長、保険局企画課長、大臣官房政策課長、厚生労働省大臣官房審議官(医療保険、医政担当)、老健局長、社会・援護局長を経て、2008年から2010年まで社会保険診療報酬支払基金理事長。2010年10月から2014年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長として「社会保障と税の一体改革」の事務局を務める。この間、1981年から84年まで在スウェーデン日本国大使館、1987年から89年まで北海道庁に勤務。著書は『平成の社会保障』(社会保険出版社)など。

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