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安倍さんの「メディカル・フロンティア戦略」(中村秀一)

霞が関と現場の間で

厚生部会長時代のこと

安倍さんが厚生部会長を務められたのは、森喜朗内閣の時であった。当時、厚生省の政策課長であった筆者は、安倍部会長から首相の支持率の向上のための政策づくりを手伝って欲しいと依頼された。派閥の事務局長である町村信孝さんの指示とのことであった。

安倍さんは「厚生行政は負担増の話が多く、どうしても暗くなる。明るい政策を作りたい」ということで、「メディカル・フロンティア戦略」とすることになった。その場で政策の骨組みを1枚の紙にまとめ、厚生省に持ち帰った。省内でのメニューの積み上げ作業が行われた。

安倍さんの段取りで、この戦略は総理自らが外遊先のロンドンで同行記者団に発表することとなった。しかし、ロンドンでの会見では、総理は「メディカル・フロンティア」と言っただけで、「詳細は安倍部会長から」ということで終わってしまった。

安倍さんは少し気落ちされたようだったが、記者を集めて発表する手筈を整えた。だが、どうしたことからか発表当日の某紙の朝刊1面で報道されてしまった。安倍さんは渋い顔をされていたが、この記事はメディカル・フロンティア戦略のためにはインパクトが大きく、結果オーライであった。この戦略は2001年度の厚生労働省の重点施策のトップに位置付けられ、303億円の予算が計上された。

幹事長となられて

2004年であったと思うが、当時老健局長であったが、幹事長となられていた安倍さんから呼ばれた。曰く「当時は部会長で十分なことができなかったが、幹事長となったので再度挑戦したい。公明党の浜四津代表にも話し、賛成してもらっている」とのことであった。

そこで取りまとめたのが「健康フロンティア戦略」で、「働き盛りの健康安心プラン」「女性のがん緊急対策」「介護予防10カ年戦略」「健康寿命を延ばす科学技術の振興」の4本柱となった。

当時、市町村検診で乳がんの見落としがあり、乳がん検診にマンモグラフィーの導入が必要となったが、機器整備に必要な予算がなく困っていた。この戦略はまさに神風となった。

「天敵」を公認したよ

その頃、ホテルでの国会議員のパーティ会場で最後方にいたところ、挨拶が終わった安倍幹事長がSP達に囲まれながら出ていかれた。と思ったら、数メートル歩かれた後Uターンして私のところまで来られ、「あなたの『天敵』を公認したよ」とささやいて退場された。参院選候補者の公認の件だったが、その時のいたずらっ子のような笑顔が忘れられない。

(本コラムは、社会保険旬報2022年9月1日号に掲載されました)


中村秀一(なかむら・しゅういち)
医療介護福祉政策研究フォーラム理事長
国際医療福祉大学大学院教授
1973年、厚生省(当時)入省。老人福祉課長、年金課長、保険局企画課長、大臣官房政策課長、厚生労働省大臣官房審議官(医療保険、医政担当)、老健局長、社会・援護局長を経て、2008年から2010年まで社会保険診療報酬支払基金理事長。2010年10月から2014年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長として「社会保障と税の一体改革」の事務局を務める。この間、1981年から84年まで在スウェーデン日本国大使館、1987年から89年まで北海道庁に勤務。著書は『平成の社会保障』(社会保険出版社)など。

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