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数理の目レトロスペクティブ|#10 定額給付と報酬比例給付

坂本 純一(さかもと・じゅんいち)/(公財)年金シニアプラン総合研究機構特別招聘研究員

 わが国の被用者は、高齢になったときには定額の老齢基礎年金と報酬比例の老齢厚生年金を受給する。ここで定額の給付とは、現役時の報酬に関係なく保険料拠出期間にのみ比例して支給される給付のことであり、報酬比例の給付とは、現役時の報酬と保険料拠出期間の双方に比例して支給される給付のことである。

 被用者に対する公的年金給付はこのように定額給付と報酬比例給付を組み合わせることにより、現役時に報酬が比較的低かった人にも、ある程度の水準の給付を行うこととしている。一種の所得再分配であり、最低生活の保障のための給付という側面と、現役時の出捐(負担)に応じた給付という両面を備えた給付設計となっている。

 この定額給付と報酬比例給付を組み合わせた給付算定式は、1954年の厚生年金保険法の改正で導入された。それ以前の厚生年金の給付算定式は、報酬比例給付のみであった。戦後の混乱を経て、厚生年金を再建する議論が行われているときに、1949年に創設された総理府社会保障制度審議会が、防貧のために行われる公的年金の給付は最低生活を保障するものでなければならないとする立場から、生計費を基礎とする定額制を強く勧告した。日経連も定額給付とすべきと主張した。こうした意見を総合的に勘案し、それまでの報酬比例のみの給付算定式を、定額部分と報酬比例部分からなる算定式に改めたのである。

 G7諸国における公的年金の給付算定式を概観すると、わが国のように定額給付と報酬比例給付を組み合わせている国は英・加、報酬比例給付のみの国が独・仏・伊ということになる。米国は生涯の平均給与をいくつかのブラケット(括り)に分けた上でそれぞれのブラケットごとに定められた給付乗率を用いて算定する、変形報酬比例給付となっているが、生涯平均給与が一番低いブラケットの上限以下の場合を除けば、同じブラケットに属する者同士の算定式は定額と報酬比例を組み合わせた給付とみなすこともできる。

 このようにG7においては定額給付のみという国はなく、出捐に応じた給付という要素を織り込んでいる。イギリスはベバリッジ報告に基づき1946年に国民保険を整備・拡張した際、定額負担・定額給付の制度設計を採った。しかしながら、物価・賃金等の経済状況に応じた給付水準を保つための保険料の引上げがスムーズにいかず、被用者については負担を定率負担に変え、中途から定額給付と報酬比例給付を組み合わせた制度設計に改正した。

 わが国において1954年の改正で厚生年金が定額と報酬比例を組み合わせた給付になったことで、すべての所得層にとって魅力的な制度になったと言えるのではないだろうか。所得再分配の機能により所得の低かった人には従前の所得に近い給付が支給されるし、出捐に応じた給付の要素があることにより所得が高かった人には高い給付が支給される。定率の保険料でこのような給付設計が可能となるのは、社会保険方式の特色と言えよう。税財源の制度の場合、定額の給付しかなく、さらに予算制約から給付水準が十分でなくなったり資産・所得制限が設けられたりすれば、多くの被用者には魅力のない制度となろう。

                 初出『月刊 年金時代』2008年3月号]


【今の著者・坂本純一さんが一言コメント】


 厚生年金保険制度の老齢年金の給付は、基礎年金が導入される以前は定額部分と報酬比例部分からなる給付であった。1985(昭和60)年改正で基礎年金が導入された時、厚生年金保険制度は報酬比例の老齢厚生年金を支給し、基礎年金勘定に基礎年金拠出金を拠出する制度に改編された。改編されたとはいえ、厚生年金保険制度は被保険者から報酬比例の保険料を徴収し、受給者には厚生年金勘定から報酬比例の老齢厚生年金と、基礎年金勘定から定額の老齢基礎年金が支給されることになり、定額と報酬比例の給付を組み合わせた年金給付である点では、改編前の給付構造と変わりがない。所得再分配機能が維持されているのである。
 
 公的年金保険制度にこのような所得再分配機能を付与するのは、生涯報酬が低かった人にも十分な給付を支給するためである。所得再分配機能がなく、報酬比例給付のみの給付構造であれば、生涯報酬が低かった人の給付はその人の現役時の報酬よりかなり低い水準となり、生活そのものが脅かされることになる。このような人にはやはり従前の報酬に近い給付を保障し、その人が従来の生活を続けられるようにしなければならない。このような考え方で、公的年金保険制度に所得再分配機能を持たせている国は多い。また公的年金保険制度には所得再分配機能はなくても、何らかの福祉的措置と組み合わせて保障を行っている。
 
 アメリカは開拓者精神が根強く定着しているからであろうか、この所得再分配機能に異議を唱える人が意外に多い印象がある。観念的に一人で生きていくことが人間のあるべき姿だと思っている人が多い印象なのだ。少し落ち着いて考えれば、誰だって一人では生きていけないのは明らかなのに、である。このためアメリカの公的年金制度に所得再分配機能が賦与されていることについて「民主党が制度初期の段階でこっそりと入れ込んだものだ」と不平を言う人も散見する。
 
 2005年のブッシュJr.の年金改革はこの所得再分配機能を弱体化させることがひとつの狙いであった。Social Securityへの保険料率は12.4%であるが、その一部を個人勘定に積立てることができる、その代わりSocial Securityからの給付は減額する、という内容だ。この改革案をownership societyを開拓する先例にするというのがブッシュJr.の宣伝文句であった。この原案を持って、ブッシュJr.はアメリカ全土を回ろうとしたが、数回で止めてしまった。現制度を支持する人々の強い反対論や、共和党支持者からも「自分で積立金を運用するのは嫌だ」という声が出るなどしたためである。こうしてブッシュJr.の年金改革は頓挫してしまったが、生活者の声も聞かないで、学者と呼ばれる人と政治家だけが集まって改革案を作っていたのかと驚いた。所得再分配機能に反対する人は、これからも形を変えて所得再分配機能を弱体化させるプランを考えてくるのであろう。
 
 わが国でも竹中平蔵が経済財政政策担当大臣のときに、社会保障個人勘定の導入を主張したことがあったが、これは所得再分配機能の否定につながる。そんなことをしたら医療保険制度がまず立ちいかなくなるであろう。年金制度も世銀と同じ誤りを犯すことになる。これらの制度を民営化して、できるだけグローバルな金融機関のビジネスチャンスを増やしたいのであろうが、そんなことをしたらますます格差が広がるだけである。伊東光晴先生は、ケインズは経済学のことをmoral scienceだと言ったと述べておられるが、このようなmoralへの感受性が低い人が国の舵取りをすると、国の運営を誤ることになる。

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