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謎の新興国アゼルバイジャンから|#58 行動経済学と医療(下)

香取 照幸(かとり てるゆき)/アゼルバイジャン共和国日本国特命全権大使(原稿執筆当時)

*この記事は2019年12月13日に「Web年金時代」に掲載されました。

本稿は外務省とも在アゼルバイジャン日本国大使館とも一切関係がありません。全て筆者個人の意見を筆者個人の責任で書いているものです。内容についてのご意見・照会等は全て編集部経由で筆者個人にお寄せ下さい。どうぞよろしくお願いします。

(承前)

みなさんこんにちは。

前回の連載で、最近、医療界のみならず世の中に旋風を巻き起こしている「行動経済学」、今や霞が関の政策形成にも影響を及ぼしている「ナッジ」について紹介しました。
その上で、昨今の「行動経済学」ブームについて、私は二つの点で違和感というか懸念を覚えている、ということをお話ししました。

今回は、私が覚えている「違和感」についてお話しします*。

*念のためあらかじめお話ししておくと、私は経済学部卒でもありませんし経済学の専門家でもありません。以下でお話しする内容は、医療の世界と行動経済学との関係を考えるため、私なりにこの学問について勉強して得た私の知見に基づいたものです。読者の中にはこの分野の専門の方もおられるでしょうから、私の理解に思い違いや間違い、足りないところがあるようでしたら是非ご教示いただければと思います。

第一は、「行動経済学」という学問そのものを理解する視点、というか立ち位置に関することです。
この学問をどういうコンテクストで理解し、どう実社会(経済活動の中)で応用しようとしているのか、特にこれを現実の政策に応用しようとしている人たち―特に政策担当者たち―のこの学問への理解の仕方です。

例えば「プロスペクト理論」。
人間、失った100円の方が得た100円よりも大きい、なんて話は株取引に携わっている人なら誰でも経験的に知っている話です。狼狽売り、なんてのはこの心理が大きく作用しています。
申込書の書き方、質問の仕方で結論を誘導する、なんてのもマーケティングとか世論調査を担当したことのある人なら誰でも知っている話です。「朝三暮四」っていうことわざがあるくらいで、人間は時として目先のことに目が眩んで非合理な行動をとることがある。人間にそんな側面があることは誰でも知っていることです。

そういう人間行動の不合理さ、どうして人は時として非合理的な選択をしてしまうのか、どういうときにどういうメカニズムが働いて人間は理性を失うのか、不合理な行動にかられてしまうのか、という問い、そしてそれへの答えは、社会学や心理学の世界で昔から研究されていて、様々な理論が提唱され、様々な研究が積み重ねられてきています。政策決定プロセスにおいてしばしば見られる政治家の「予測不能」で「不合理」な判断の要因分析、みたいな話だって、政治学の世界には多くの知見が積み重なっています。
以前この連載でも紹介した「合理的無知」とか「認知バイアス」なんてのはその例です。

その観点からすれば、プロスペクト理論など、行動経済学で語られていることの多くは、心理学や社会学、政治学の世界では既知になっている人間心理・人間行動分析を経済学の言葉で語っているもの、と言ってもいいように思います。
言い換えれば、行動経済学とは「心理学や社会学、政治学など、他の学問分野の成果を取り入れ学際的に経済学を発展させたもの」ということになるのではないでしょうか*。

*「『行動経済学者』たちは、心理学と意思決定理論、経済学、社会学を融合させ、世界に対する私たちの見方を変える重要かつ成熟した経済学の一分野を創り出した。」(John Wasik,Contributor to Forbes. 10/10/2017 Forbes Japan掲載のブログより引用)

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