数理の目レトロスペクティブ|#1 社会現象と数学現象
年金時代編集部から「数理の目」というテーマで連載文を書いてみないかというお誘いを受けた時、光栄なことと引き受けてしまった。しかし、後から考えてみると大変なことを引き受けてしまったと大いに緊張した日々を送ることになった。「数理的なテーマを随想風に書いて欲しい」というのが編集部のご下命であるが、自分が思う内容が果たして相応しいものか、また、対象をしっかりと表現できるかと自問自答してみると緊張感が増幅するのである。そんな心もとない船出ではあるが、精一杯努めさせていただくことで、読者の御寛恕をお願いするものである。
厚生労働省で年金数理に関する仕事を長くさせていただき、その中で色々とエキサイティングな経験をさせていただいた。そのひとこまひとこまを綴って行きたいと思うが、そもそも私のように数学を学んだ人間がどうして厚生労働省で仕事をさせていただくことができたのかと考えてみると、結局社会現象の背後に時々数学現象が現れるから、ということではないかと思う。 今はもう亡くなられたが、数学におけるノーベル賞というべきフィールズ賞を日本人として最初に受賞された小平邦彦先生は、『怠け数学者の記』(岩波書店)などに書いておられるように、「物理現象の背後に数学現象があり、この数学現象を摑み取るのが数覚である」とよく言っておられた。物体の運動の背後に微分方程式があり、波動の背後に三角関数があるのである。あるいは今より精緻な構造を摑み取る数覚が現れるかもしれない。
私のような浅学菲才のものが小平先生を引用させていただくのは甚だ分不相応であるが、厚生労働省で仕事をさせていただいている間に繰り返し感じ始めたのは、社会現象の背後にも時々数学現象が現れると言えるのではないかということであった。特に公的私的を問わず年金や保険の分野、また人口といったところの背後に現れるのであろう。
この数学現象を摑み取るのは数覚である。したがってアクチュアリーの仕事をする場合も、数覚をよく磨いておくことが極めて重要になると思う。このアクチュアリーという仕事について、最近の数理科学系の学生の関心は高いようであるが、まずは現在学んでいる世の中の役に立たないと言われている純粋数学をしっかりと学んで、数覚を研ぎ澄ませて欲しいと思う。私が非常勤講師を勤めさせていただいている大学の学生にも、このような話をしている。この点で、プラグマティズムと言うか、実学主義的な傾向が最近の高等教育に見られるようであるが、社会全体として考えた場合、これは退化の始まりではないかと危惧するものである。この点で慶應大学の権丈先生は、「学問の基礎は数学と歴史にある」と言われ、「対象の理解の仕方を数学から学び、倫理観を歴史から学べ」と言っておられるが、大いに共感するものである。
[初出『月刊 年金時代』2007年6月号]
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