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日本医師会長の交代に思う(中村秀一)

霞が関と現場の間で

8年振りの日医会長の交代

6月27日の日本医師会長選挙で中川俊男副会長が現職の横倉義武会長を破り、8年振りの会長の交代となった。職能団体の会長選挙であり、部外者である筆者は「医師会政治」について特別な内部情報を持っているわけではないが、わが国の医療政策に大きな影響力を持つ日医の会長の交代であるので、その意義について考えてみたい。

横倉会長の時代

一時代を画した武見太郎会長(1957~82年)以後で、長期政権を敷いたのは坪井栄孝会長(96~04年)であった。その後、植松(1期)、唐澤(2期)、原中(1期)と短期政権が続いた。この時期は、小泉内閣の終盤期から安倍(第1次)、福田、麻生の3内閣の時代である。いわゆる「地域医療崩壊」などの問題が噴出した時期だが、民主党への政権交代が目前に迫る政治状況の下、厚生労働省の医療政策も手詰まりの様相を呈していた。

当時の日医は差し迫った課題に対処する明確な方針が示せず、筆者の周りの医師たちからも「日医はもうダメだ」という声が上がる有様であった。2010年には民主党を支持する原中氏が会長となり、当然のことながら野党(当時)の自民党との関係も冷え込んだ。

横倉氏は、原中会長のもとで副会長を務めており、この10年間、日医を担ってきたのである。会長としての8年間は、民主党政権から自公政権への復帰を経験し、第2次以降の安倍内閣と重なる。政策的には、「社会保障と税の一体改革」による医療・介護提供体制改革が進められてきた。

官邸主導、安倍一強と言われる時代、横倉会長は政権中枢と円滑な関係を築いた。政府の政策に日医がこれほど近づいたことはかつてなかった。「圧力団体」的な手法を極力抑え、地域医療を支える医師会というイメージの定着にも腐心してきた。「調整型」の会長がよく機能したと言えよう。

新会長の課題

しかし、安倍内閣が日医にそれほど優しかったわけではない。最近4回にわたる定時の診療報酬改定はいずれも(本体改定率はプラスであったものの)マイナス改定であったのはその一例である。

第2波が懸念されるコロナ対策は喫緊の課題である。また、消費税率10%が実現した現在、「一体改革」後の枠組みである「全世代型社会保障」の確立が目指されている。そこで医療・介護の姿をどのように描いていくのか、これらが中川新会長が直面する課題である。

手法的には前会長と対極的と言われる中川新会長のもとで、医療政策の振り子はどう振れるのか。刮目して見守りたい。

(本コラムは、社会保険旬報2020年8月1日号に掲載されました)


中村秀一(なかむら・しゅういち)
医療介護福祉政策研究フォーラム理事長
国際医療福祉大学大学院教授
1973年、厚生省(当時)入省。 老人福祉課長、年金課長、保険局企画課長、大臣官房政策課長、厚生労働省大臣官房審議官(医療保険、医政担当)、老健局長、社会・援護局長を経て、2008年から2010年まで社会保険診療報酬支払基金理事長。2010年10月から2014年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長として「社会保障と税の一体改革」の事務局を務める。この間、1981年から84年まで在スウェーデン日本国大使館、1987年から89年まで北海道庁に勤務。著書は『平成の社会保障』(社会保険出版社)など。


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